精神障害であること
精神障害であること
次長さんから「堀君は本を読まないから」と言われ少しむーときました。もし本が読めるなら、今頃は部長級の役人になっていたことでしょう。おそらく博士号も取得していることでしょう。
精神障害者だから、週に2回精神病院に来るのです。雀の涙くらいの障害年金で暮らしているのです。
それくらいのことが、なぜ他の人に分からないのでしょうか。それは健康といわれている人を基準にしているからです。精神病院の職員でさえこの程度です。後はおして知るべしです。
「さんかく広場」も建築にかかるまで、2年半の月日が掛かっています。精神障害者は何をするか分からないと言う偏見のもとで、闘い続けたのです。
私たちは何も好きこのんで精神障害者になったのではありません。ある日突然、鉄格子のある病院に入れられたのです。
その時から私たちの人生が変わったのです。人々から気違いといわれ、恐れられる存在になったのです。
職を奪われ、学業を諦めなくてはならないようになったのです。生きていくのが辛く、哀しい日々を送らなくてはならなくなったのです。
私たちが精神障害者であるのは、私たちの責任ではありません。いまだに科学的に解明されていない何かが脳に起こったのです。
精神障害者であるから、様々な差別の中で生きていかなければなりません。私たちはなぜ精神障害者であるのかを問い続けています。
しかしこの問題の答えは、現実としては分かりません。ただ神様の創造の御業の中で、私たちには分からない役目を果たしているのだろうと思います。
精神障害については、医師も職員もある程度の理解をしています。しかし、理解するのと障害を体験している者とは、決定的な差があります。
前者は客観的な知識で投薬します。しかし、それが体にどういう風に効いているのかは分かりません。
あるいは精神障害とは、いかに苦しいものかは分かっていないと思われます。鬱のどうしようもない倦怠感は、体験した者にしか分からないでしょう。
一人一人個性が違うように、一人一人の病状は違います。それを類推することは大変なことだと思います。
精神科では、客観的なデーターが出ません。医師の主観的な判断でいますが、私たちはこの診断を信頼して、診察を受けなくてはならないと思います。
人間が判断するのですから、間違いもあるでしょう。だからといって診察や薬を止めれば、再発、再入院の可能性が非常に高いのも、この病気の特徴です。
過去を振り返るのは止めましょう。元気で、希望に満ちていた世界のことは忘れましょう。これからどうやって生きていくかを考えましょう。
私は「精神障害者ではあるが、心は健康である」と主張しています。私たちは心の問題をもっと深く考えるべきです。それは、「心の病」と十把一絡げにされていたときの名残ですから
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