2006/06/03

団塊の世代を高知に誘致しよう

 新堀川の埋め立ての是非は、南国土佐の未来像にかかっていると思います。高知市が都市型社会を目指すのか、村型社会を目指すのかで正反対の結論が出ると思います。 
 これからの日本は高層ビルが建ち並ぶ近代化された都市とそれから取り残された都市とに二極化するでしょう。バブルが崩壊し、国家が破綻しかねない状況に陥った日本は、構造改革に日本の未来を託しました。日本はアメリカ型競争社会を選択したのです。都市間の経済格差はますます広がるでしょう。
 例えばトヨタを抱える名古屋地域はますます発展するでしょうし、産業のない高知は廃れていくでしょうが、高度に発達した都市型社会では人間が本当に幸せになれるのでしょうか。ヒルズ族が高いビルから地上を眺めて、王侯貴族の気分に浸れるのも、一時のことです。彼らの頭上にはダモクレスの剣が吊り下がっているのです。ホリエモン然りです。
 一方、村型社会は時代に取り残されているかのように思われるかも知れませんが、人間が生きていくのには村型社会の方が相応しいのです。古代ローマではローマ市民は過密化したローマでは狭いアパートで我慢しましたが、郊外に別荘を持ち、別荘で家庭生活を楽しんだのです。
 日本もこのように住み分ける時代になってきたような気がします。少なくとも、これから定年を迎える団塊の世代には、住宅を子供たちに譲り、第二の人生を田舎で暮らしたいと持っている人たちが多くいると思います。彼らが望むのは住み飽きた都市型社会ではなく、住む人間に優しい村型社会です。
 高知市はこれらの人々を迎え入れ、南国土佐らしい自然の豊かさの中で第二の人生を送ってもらえるようにしたらよいのではないでしょうか。 団塊の世代の資産は膨大です。高知でならば退職金で家を購入することができますし、年金で十分生活ができます。子供や孫に会いたくなれば飛行機でひとっ飛びです。
 バブルが崩壊した今、かつての箱物行政に戻るのではなく、社会福祉を充実し、老人福祉のソフトを蓄え、新しい福祉都市として、団塊の世代に南国土佐を売り込んだらどうでしょうか。 少なくとも県外から移住してきて20年以上になる私は、高知は終の棲家に相応しいところだと感じています。
西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP