2006/05/28

鬱病の世界に生きる,1,主と出会う

 私は鬱病の世界の中で30年以上生きてきました。最初の10年間はアルコールの酔いがもたらす暗黒の世界の中でしか生きられない人間になっていました。後の20年間は寝たり起きたりの生活でした。最後の5年間はSSRIのパキシルと出会い、健康な人間に近い生活が送られるようになりました。
 私の人生は、断酒会発祥の地である下司病院に入院した時から変わりました。雪国金沢から頼る人もいない南国土佐へ、断酒を目指して単身で行きましたが、院内飲酒をして人事不省に陥りました。息を吹き返した時に復活の主イエス・キリストとの出会いがありました。その時に私の人生は変えられました。慢性的な自殺と言われる鬱状態の中で、私は生まれて初めて生きることに執着したのです。
 毎朝3時頃に起き常夜灯の下で手紙を書き、開門と同時に散歩を始め、昼、夜は断酒会へ出席をする生活を1年近く続けました。もちろん鬱状態に陥り、体温が35度を切り、体温計の水銀柱が上がらず、測定不能になった時もありました。血圧も極端に落ち、60mmHgを切る時もありました。生理学的に言えば半分死んでいるような状態になることも珍しくはありませんでした。同室の仲間が私を静かに寝かしておくために、検温の看護婦さんを追い返したこともあったぐらいでした。
 1年間の入院生活を終え、一緒に入院していた青年とアパートを借り、自活生活を始めました。学習塾の講師をしていたのですが、何を目的に生きて行ったら良いのかが分かりませんでした。ある日高知教会に東京神学大学の松永学長が講演に来られました。講演を終わった後、松永学長は東京神学大学に人を送って下さいとアピールされました。その時、私の心は激しく打たれました。「これだ!」心に強く迫るものを感じました。
 しかし、躁鬱病でアルコール依存症の人間、退院して1年にも満たない人間を牧師養成機関、神学校に入学させてくれと言うのはあまりにも非常識だという想いもありましたので、松永学長に正直に自分の現在の状況,特に躁鬱病とアルコール依存症は現在進行形であることを書き記し、それでも入学を認めてくれるかと手紙を書きました。松永学長から「東京神学大学はいかなる差別もいたしません」という明確な意思表示が記された丁寧な返事が数日中に届きました。それから高知教会の牧師を説得し、受験に必要な推薦状を書いていただきました。

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