2006/06/05

高知県はブログの管理・統制を止めろ

 削除された書き込みに品川正治さんの講演会について書き込まれたものがありましたが、何ら公序良俗に反するものとは思われません。品川さんは経済同友会副代表幹事、専務理事を歴任し、現在終身幹事、財団法人国際開発センター会長という公職に就かれている方のようです。その方の意見を広く公開された掲示板(高知県が管理)に書き込むことは高知県民としての権利であると思えます。高知県(運営委員会)がなぜ誰が読んでも公序良俗に反しない書き込みを削除したのか理解できません。憲法改正反対の立場からの発言であり、一般常識を越えるものではありません。このような社会通念から逸脱していない書き込みを一方的に削除する行為は検閲を禁じる憲法21条2項に明らかに違反しています。
 ディベートを西欧民主主義諸国では教育の中に取り込み、討論の技術を子供の頃から学ばせています。ディベートは参加者をくじで二つのクラスに分け、一つのテーマの賛否をクラス別に討論させ勝敗を決める知的スポーツです。例えば、くじで憲法改正賛成派と反対派とにクラス分けをします。憲法改正賛成派が反対派のクラスになりその逆もあるわけですが、自らの主義主張とは関係なしに相手のクラスの主張を論破する競技です。言葉を武器とする知的格闘技です。 民主主義というとギリシアの都市国家を連想される方が多いと思いますが、ギリシアでは雄弁術、弁論術が発達しました。武器を使用する戦争を避けるために、言葉で戦争をさせたのです。ギリシアの広場には市民が集まり盛んに議論をしていたようです。その中からギリシア哲学が生まれ、民主主義の萌芽が芽生えたのです。民主主義とは言葉の戦争だと理解すればよいのかも知れません。ですから反対意見を封殺するのはフェアー(公正)ではなく、民主主義のルール違反です。掲示板から書き込みを削除するのは公権力によるテロ行為です。言葉には言葉で対抗するのが民主主義の鉄則だからです。
 問題になった書き込みが不適切なものであったなら、その旨を掲示板に書き込めばよいのです。ブログの内容が不適切だと思われるのならばそれに対抗するブログを立ち上げればよいのです。それらの努力を放棄し、書き込みを物理的に削除するのは、中国のインターネット管理と発想は同じだと言わざるをえません。自由主義国日本は中国とは異なる政治体制であることを私たちは誇ってきましたが、それは幻想であり、日本も戦前の全体主義国家に戻ってしまったのですね。
 私は平和憲法は日本が世界に誇るべき憲法だと思いますが、日本は自衛隊と呼ばれる世界有数の軍隊を保持しているのも現実です。法治国家ならば自衛隊を編成する前に憲法を変えるべきでしたが、それをなおざりにしてきたのは政治の怠慢です。平和憲法があるから自衛隊は戦後60年間、一発の実弾も発射しない世界で希有な軍隊であり得たし、日本は平和と繁栄を享受できたのも事実ですが、法理論からすれば現実と乖離した憲法は改正されるべきだと思います。
 しかし、国旗国歌法案が拡大解釈されたように平和憲法を改正したら、それが拡大解釈され、かつての日本のように他国への侵略さえも合理化しかねないという危惧を国民が抱くのも自然な反応です。だからこそ、あらゆる立場に立つ人が意見を闘わせ、国民が納得できる形で結論を出さなければならないのです。日本国憲法は進駐軍が作成したのだから自主憲法を制定しなければならないと主張されますが、言論が封殺されたままで憲法を改正したならばそれと同じ主張が展開されるでしょう。

西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP