2006/06/10

情報公開の大切さ

 私が原子力発電所の環境アセスメントをしていた時に、情報公開を求める市民の声が強ければ、あるいは状況が少し異なっていたかも知れません。巷に溢れていたのは、観念的な反原発運動であり、環境アセスメントの情報公開を求める市民からの声は上がりませんでした。結局、孤立無援であった私は発病して職を失い、家庭を失いました。私は役人を生かすも、殺すも、市民の声しだいだと思っています。私は自分が役人の世界で挫折し、敵前逃亡した身ですから、大きなことは言えませんが、政治的な圧力を跳ね返せるのは、市民の支持があって始めてできることです。
 県の掲示板の仕組みがどの様なっているのかは、まだ理解できていないのですが、原理原則に拘る姿勢が大切だと思います。例えば、書き込みに問題が無く、不適切なリンクが張られていることがルール違反だというのならば、そのリンクだけを外す交渉をするのが、事務局が最初にやらなければならない仕事です。役人ならば「市民に頭を下げてなんぼのもん」(家内が神戸市で法律専門職として同和問題などを担当していたときの上司の言葉だそうです)ですから、粘り強く交渉し、3週間もあればかなりのことができたはずです。その過程を無視して、いきなり書き込みを削除したところに問題の本質があります。
 事務局が丁寧に対応しても、話し合いで結論が得られないのならば、最後の手段として書き込みの削除と言う手段を執るべきです。その場合、少なくとも当事者との交渉の過程、削除すると判断した法的な根拠(ぷらっとこうちの運用規定等)、運営委員会での審議・決定過程、削除を実行した事務手続等を掲示板に公開すべきです。 今回の問題の根本にあるのは、裁量行政の弊害です。県民に情報を公開して、県民に判断を委ねるべき問題を、小手先で収拾しようとしてことが問題なのです。情報を公開し、検証可能な証拠を明示することによって、責任の所在が明らかにされ、問題の本質が明らかにされるのです。少なくとも書き込みの削除、言葉を換えると検閲は、それだけの重さ伴う判断・処置だからです。