ブログ民主主義は新しい世界を創る
ブログにはインターネットに接続できれば、誰でも自由に参加でき、自由に発信、受信ができる利点があると同時に、玉石混淆の情報に晒されるという欠点があります。掲示板には2チャンネルのような無法地帯もあれば、自己規制が働いている掲示板もあります。いずれにしろ、ブログ民主主義は大衆が直接政治に参加できる点で、従来の民主主義とは質的に異なるものへ進化する可能性を秘めています。 しかし、自由に発信できる長所は、逆に誤った情報を発信する、大衆を扇動する、他人を非難中傷する等が自由にできるという短所に繋がりますが、これに対する規制は、ブログ民主主義そのものを破壊してしまうことになります。
民主主義と衆愚政治とは紙一重です。第一次世界大戦を経験したドイツは、当時としては革新的な憲法、近代憲法の先駆けと言われる民主的な憲法、ワイマール憲法の下で国土の再興を誓いましたが、ナチス・ドイツが合法的に第三帝国を築き上げました。 ナチス・ドイツは現代風に言えば巧みな情報操作で、国民をマインドコントロールしたのです。世界一流の学者でさえナチス・ドイツに協力したのは、オーム真理教を桁違いにスケールアップしたものと考えればよいかも知れません。
例えば小泉首相は総選挙に圧勝した勢いで、独裁体制を固めるために法律を改正し、自民党規則を改正することもできたかも知れません。ヒットラーはその様にして独裁体制を合法的に築いていったのです。例え民主的な憲法があっても、憲法が想定していない事態は起き得るのです。
全体主義、独裁体制は情報を操作し、秘密警察を暗躍させます。庶民は落書き、ポスター、ミニ集会などで対抗しますが、権力の前では全く無力であったのは歴史の示すとおりです。歴史は歴史をリセットするために革命を用いてきましたが、21世紀の成熟した社会では、革命はあまりにもリスクが大きく、人的、物的コストがかかりすぎます。
それに対して、21世紀、人類はインターネット社会を創設しました。ブログが普及してきた現在、社会構造も質的な変化を起こそうとしています。人類は新しい思想を必要としているのです。新しい思想は旧来の民主主義とは異なる概念だろうと思いますが、革新的であるがゆえにマスコミからは阻害されるでしょう。
一方、ブログは新しい社会を構成する新しい手段として、その位置を確保しつつあります。ブログの世界は玉石混淆の世界ですが、検索サイトが各自の必要な情報を探し出してくれます。情報の砂浜の中に、ダイアモンドが転がっている可能性もあるのです。ブログ社会は新しい思想、概念を瞬時に全世界に発信し、全世界のどこでもそれを受信することができるようにしたのです。
ブログ民主主義には新しい社会を創造する可能性が秘められています。そのためには情報を管理する社会、例えば中国、北朝鮮のような閉鎖的な社会から解放されなければなりません。高知県が管理する掲示板は公のものですから、内容に問題がない書き込みを一方的に削除するのは時代の流れに逆行しているといえます。
逆に言えば、書き込んだ以上、非難中傷も甘んじて受けなくてはならないでしょう。書き込んだ人間がそれを甘受するのも自己責任です。結局ブログ村の住民に何が真実であり、何が虚報であるかの判断を委ねるのがブログ民主主義です。
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