2006/06/18

高知女子大、社会福祉学科での講義を終えて

 高知女子大の社会福祉学科で「精神障害者として生きる」という題で講義らしきものをしました。19~20歳のお嬢さん方を前にした講義は、少し気恥ずかしくもありましたが、冷房完備の教室では思っていたことを十分に伝えられたと思っています。
 私はあなた方は選ばれた人たちだと言いました。このような時代に他人の命を救える職業は尊いと思うと言いました。若者が進路を見失い、フリーターをしているような時代に、社会福祉を目指して勉強している彼女たちからは、新鮮な息吹を感じさせられました。おそらくソーシャルワーカーとして福祉の一線で働く彼女たちは、これから様々な体験を積み上げていくでしょうが、初心を忘れないで欲しいと願いました。
 彼女たちが働く職場では、世の差別や無理解との闘いになると思います。ノーマライゼイション、障害者を社会の一員として認めるのは、理念としては正しいのですが、障害者が町の中で生活するのには、具体的な障害が多すぎるのが日本の現状ではないでしょうか。
 あるいは精神障害者は多くの人にとって「何をするか分からない人」なのですが、それを口に出して言うことは許されない時代になったので、誰も口に出しては言わないだけです。例えば、グループホームを町の中に造ろうとすれば、必ず反発が起きます。理念や法的に問題がなくとも、周囲の無理解の中でグループホームを立ち上げれば、村八分にされて苦労するのは障害者自身です。
 障害者福祉の課題は、周囲の無理解や差別から障害者を守ることにあります。おそらく障害者差別をなくす運動、啓発運動では効果が上がらないでしょう。理性や知性や信仰のレベルの問題ではなく、生活感覚のレベルの問題だからです。人間の生活感覚に根ざした思いこみは、体験を積み重ねることでしか解放されないのです。地道ですが実績を一つ一つ積み重ねるのが、最も賢明な道だと思えます。急がば回れ、焦らず忍耐する、それが私が彼女たちに訴えたかったことです。