2006/06/18

私もかつては引きこもり、ニート?でした

 今から振り返ると、京大時代は引きこもり、いわゆるニート?ではなかったかと思います。舞鶴での2年間、実験場の校内に寮があったのですが、授業なるものに出た記憶がありません。卒業できたのは、単に国家公務員上級職試験に合格したので、堀は寮内で勉強しているという噂が教官の間で広がっただけです。
 あの時代には、既に鬱の兆候が現れていたのかも知れません。全共闘時代に神経をすり減らし、世の中を斜に眺めるようになっていました。食うために家庭教師を2つしていましたが、それ以外の時間は寮に籠もり、本の世界に逃げ込んでいました。
 福井県水産試験場(敦賀時代)に就職して、日本で最初の原電の環境アセスメントを担当しましたが、公務員としての良心、科学者としての良心が土足で踏みにじられ、心がずたずたに引き裂かれました。眠られない夜が続き、寝酒の量も増え、精神科を受診しました。躁鬱病だと診断され、何か周囲と違和感を感じていたのは、病気の性だと分かりむしろホットしました。
 それからの10数年間は、正常な状態が続き、断酒を続けるのですが、鬱に周期的に落ち込むと突然アルコールを飲み、失神してしまい、入院を繰り返す日々が続きました。金沢一の精神病院の院長は母親に、鬱病である私は治療不能、断酒できないと宣言したらしいです。後日あれは私の誤診でしたと頭を下げたらしいのですが。
 私は金沢におられなくなり、冗談抜きに流刑の地土佐に自主的に流刑にされました。断酒会発祥の地である下司病院に入院しても、院内飲酒をし、血圧は0になり瞳孔も開きました。下司先生の適切な治療により息を吹き返した私は、生ける神との出会いを体験しました。A.A. でいうハイヤーパワーに出会ったのです。そこから私の新しい人生が始まったのです。