2006/05/08

アルコール依存症を理解してくれる

88会報 (99.6.24)
アルコール依存症を理解してくれる人 
堀 俊明
 昨日の例会のテーマが「アルコール依存症を理解してくれる人」というものでした。色々の意見がでましたが、私は断酒継続しかアルコール依存症を理解して貰うことが出来ないと思いました。
 私はつい先日50歳の誕生日を迎えました。私は断酒18年目を迎えようとしています。結婚生活も12年目になります。私たちは、私が躁鬱病でアルコール依存症であることを理解し合う中で、結婚生活を始めました。今では、私は精神障害2級に認定されています。
 私は、日本ではおそらく始めてアルコール依存者から牧師になりました。しかし、牧師の道に至るまで、様々な挫折を味わいました。エリート公務員からアルコールが元で何度も鉄格子の向こうの生活を味合わはなくてはならなくなりました。当然職を失いました。離婚も体験しました。
 私は、私の実家のある金沢で何度もアルコールを飲み、鉄格子のある病院に入れられました。その中で、ある日「断酒に捧げん」という故松村断酒会初代会長の生き様を書いた本に触れました。その本を読み高知でアルコール依存症を治そうと思いました。
 そして、高知に来て、下司病院で約1年間入院生活を送りました。その間、院内飲酒で瞳孔の開くようになったこともありました。しかし、1年間の入院生活と2年間の高知教会生活を経て東京神学大学に進学しました。そして卒業後、高知教会、香美教会を経て瀬戸キリスト教会の牧師となりました。牧師生活も14年になろうとしています。
 瀬戸キリスト教会は、開拓伝道をして出来た教会です。0から出発した教会です。当然教会員は私が躁鬱病でアルコール依存症であることを承知で集まってきた人たちです。教会員は精神障害者の牧師のいる教会へと集まってきたのです。
 牧師と精神障害者、とくにアルコール依存症者という組み合わせはこの世の常識から外れています。その常識から外れたところにむしろ神の選びがあると私は考えています。
 アルコール依存症という病気は、なった者にしか分からないものがあると私は感じています。そう言う意味では医者にすら分からない病気です。
 しかし、はっきりとしているのは治療法はあると言うことです。断酒継続が続く限り再発はしない病気です。その意味では癌などとは違い、確実な治療法があるのです。それが分かっているのにアルコールを飲まざるをえないところに、この病気の恐ろしさがあるのです。
 断酒をすればその向こうに必ず明るい未来が待っていることを知りつつ飲み続けるのを、健康な人間に分かって欲しいというのは無理があると思います。断酒を継続して、始めてあれは病気であったといえるのではないでしょうか。
 もし、断酒を継続しようと望むならば、何回失敗しても必ず断酒することが出来ると思います。あのように何度も鉄格子の向こうの生活をした私にすら断酒が出来たのです。断酒へと目を向けることが出来たならば必ず断酒が出来ます。
 私たちは、一人ではないのです。断酒会の仲間がいます。志を同じくする者がいるのです。一人では出来ないことも仲間とならば出来ます。この仲間との愛と団結の力でアルコールの誘惑を克服しましょう。そして、新しい人生を歩んでみましょう