2006/05/08

ユーザーと呼ばれて,返信 

99/7/2
 S様、お手紙ありがとうございました。
 梅雨の末期の大雨で体調が今一優れないのですが、それなりにやっています。てこ・とこ・せとの方々には体調を狂わせた方が多いのではないかと推察しています。
 私は検査入院も終わり、特に異常はないと言うことでした。1/4世紀も病者をやっていると身体の様々なところにガタが来ています。生命に関わりかねない病気が片手ぐらいあります。その中で、牧師をやり西風の会やさんかく広場に関わっていると過労になるときもあります。
 ご指摘のように、言葉は確かに時代によって変わります。ユーザーという言葉は自家用車と共に広がってきた言葉であると私も理解しています。学生時代に、友人たちとカーマガジンと言っていたように思いますが,自動車雑誌を見ながら一度トヨタ2000GTに乗りたいなどと話していたことを思い出しました。
 これが今から30年前頃の話です。てく・とこ・せとに入っている人たちは、この時代に高度成長と引き替えに社会から隔離された人たちであると、Sさんは精華ランドで述べていらっしゃいましたね。
 私もこの時代に精神衛生法によって何年間もの入院経験があります。杉本さんは、てく・とこ・せとに関わるのも、この時代の人権を無視した制度に関わったものの一員として、贖罪の意味もあると言っていらしゃいましたね。
 それならば、あの時代に私が手に触れることの出来た最高の辞書であるランダムハウス1973年版(2分冊の大辞典)に、a chronic user of marijuna(マリファナの常用者)とあったのは、あの時代においてはUSERは特別の意味を持っていたと考えられます。ベトナム帰還兵が薬物中毒になってアメリカが疲弊していたころの言葉です。
 この時代に精神病院に入れられて何十年もの時間が停止した人たちに対して,あの時代に用いた言葉を用いるのは余りにも無神経だと思います。全精連がそこまで踏み込んだ議論をしたのかどうかは知りませんが、いかに当事者組織であろうとも余りの無神経さに私はあきれています。
もし、てく・とこ・せとにいる人たちを「あこめ」にいた人たちと言えば、高知では著しい差別語となるでしょう。この「あこめ」という言葉はトンネルが出来たからと言って差別語ではないと言い得るでしょうか。あるいは、精華園にいたと言うだけで高知では特別視されるのが現状ではないでしょうか。この様に時代が変わったからと言って、使っていい言葉とそうでない言葉があるのではないでしょうか。
 全共闘世代の私は、未だにバリケードの中から開放されてはいません。あの混乱した時代にアルコールや薬物に手を出すことはそう珍しいことではありませんでした。その薬物の利用者を意味するユーザ?と言う言葉は、私を過去に引き戻します。ですから、少なくとも、てく・とこ・せとの中ではユーザーという言葉を用いるべきではないと私は思います。
 てく・とこ・せとにいる人たちが過去の医療行政の被害者と見なすならば、ユーザーという横文字もどきを使うべきではありません。もし利用者と言うことにこだわり続けたいのならば単に利用者というきちんとした日本語を使うべきです。何でも横文字らしくすればよいと言うのは日本人の悪い性癖だと思います。いかがでしょうか。