2006/07/11

塵肺訴訟、原告を早期に救済せよ

 「トンネル塵肺訴訟」でトンネル工事で塵肺になった元建設作業員と遺族らが、東京地裁に訴え出た賠償訴訟の最大の焦点は、国の行政責任「国が塵肺防止策など規制権限を適正に行使したか」でしたが、原告は全面勝訴の判決を勝ち取りました。
 判決では、「塵肺を防ぐための規制を違法に怠った」国の怠慢を厳しく断罪し、「湿式削岩機と防塵マスクの使用などを法令で義務付けていれば、粉塵の発生、拡大を相当程度防止できた」と国の行政責任を認定しました。
 塵肺は、呼吸困難に陥る深刻な病気です。原告らは、高度成長期やバブル期に全国のトンネル工事現場を渡り歩いて、塵肺になりました。
 原告たちは、日本の高速道路網整備、新幹線や高速道路工事をを支えたいわゆる「トンネル屋」です。彼らは工事現場から工事現場を渡り歩き、劣悪な環境の中でトンネルを掘削したのです。 
 効率最優先の職場で健康は二の次にされました。ゼネコンにとっては彼らは使い捨ての人間穴掘り機でしかありませんでした。変わりはいくらでもいたのです。
 列島改造論で代表される「箱物行政」は日本の景気の牽引車でした。経済が急成長した時代には、日本の血管網にあたる新幹線、高速道路を社会も必要としました。
 東京オリンピックの時に、東海道新幹線が開通しました。東京と大阪も高速道路で結ばれました。日本の都市間の移動時間が急速に短縮しました。 
 バブル期までには日本の都市間の移動時間は、新幹線、高速道路、さらに飛行機を使えば一日以内に短縮しました。
 高速道路網の整備が日本の経済、文化に与えた功績は計り知れませんが、その陰に「トンネル屋」の人たちの血と汗があったことを私たちは忘れ去っていました。
 国は彼らが日本に貢献した経済効果に見合った保障を彼らにすべきです。生命をお金に換えることはできませんが、せめて生活の保障と治療費を国が負担すべきです。
 私たちは日本の現状をもう一度考え治す時が来ているのではないでしょうか。日本は「狭い日本、そんなに急いで何処に行く」と言われるようになりました。日本には新幹線や高速道路はもう必要ないのではないでしょうか。
 1000兆円もの借金を抱えながら、なお新幹線や高速道路を造るのは貪り以外の何物でもありません。次の世代に必要な交通網は既に整備したのですだから、後は維持費を支出する程度で「箱物行政」はもう止めるべきです。
 少子化が社会問題化している時に、次の世代にこれ以上の借金を負わすべきではありません。彼らは私たちの世代の老後を支えるだけでも精一杯だからです。
 生まれてくる子供一人一人が1000万円の借金を生まれながらに背負わされているのですから、子供を簡単に産めないのも当然です。
 国民年金に若者が加入しないのも、日本の未来に希望が持てないからです。天文学的数字に達した借金を抱える国を信用せよという方が無理です。
 「箱物行政」に励む政治家は自分の懐は全く痛まないので、人気取りのために「箱物」を造るのに何の痛痒も感じないのでしょうが、借金を返すのは国民です。
 政治家は国民の痛み、怒りに気づくべきです。家族一人一人に1000万円もの借金があれば、家計を切り詰め借金を先ず返すのが庶民の感覚だからです。