2006/05/08

心のリハビリ

心のリハビリ (05/08/16)
堀 俊明 

 精神病はパソコンに例えると分かりやすいかもしれません。脳はハード、パソコン本体で、心はソフトに例えられると思います。精神病の多くは先ずハード、脳の機能が損なわれパソコンが正常に機能しない状態をさすと思います。ハードが正常に機能しなければ当然ソフト、心にも異常が表れます。ハードの異常がソフトを巻き込みパソコンが正常に機能しなくなります。多くの精神病、躁鬱病、統合失調症、癲癇などは何らかの理由で脳の機能が損なわれ、精神活動に異常をきたすのではないかと私は考えています。

 逆にハード、ソフトとも正常に機能していたのに、ソフトが処理できないような情報が入力されて先ずソフトがダウンし、ハードも正常に機能しなくなったのが、神経症、PTSDのような心の病気ではないかと思います。

 精神病は思春期に発病しやすいといわれますが、子供の脳から大人の脳に脳が成長するときに、脳の機能の異常が現れやすくなるのでしょう。脳が正常に機能しなければ、正確な情報が心に達しないので、心は正常に発達しません。外から見ると、脳の機能に異常があるのは分かりませんから、心の病気と言われてきました。

 しかし、心は人間を人間たらしめるものです。人間はコンピューターに例えられる存在ではないのです。脳という肉体に属する存在ではないのです。例えばコンピューターの性能がいかに高まっても決して人間の代わりにはなれないのです。人間の心は人間固有のものなのです。

 人間の心は人間が本来持って生まれてきたものですが、肉体が成長すると共に成長していきます。この成長の過程で脳の機能が損なわれ、心まで蝕まれる場合があるのです。多くの精神病で苦しむ人は、脳が正常に機能しないのに加え、心までが病んでしまっているのです。

 先ず精神病の治療は脳の機能を回復さすところにあります。最近、新しい薬が開発されてきていますから、精神病で脳の機能が犯されている多くの人たちの脳は薬を飲み続ければ回復するようになるでしょう。

 医療は脳の機能の回復のために、先ず薬、さらに脳のリハビリの場を提供します。社会は精神障害者に対して様々な福祉政策を講じています。社会生活を支えるために障害者年金、社会参加のために社会福祉施設などを用意していますが、いずれもハードを対象にしたものにすぎません。

 私たちの脳の機能は薬を飲み続けることにより回復しても、一番大切な心は回復していないのです。医療は脳の機能を回復さすことはできますが、心は各自に固有なものですから医療の対象にはできませんし、対象にしてもらっては困ります。医療は人格、心を改造することをしてはならないのです。

 心の問題は医療ではなく、宗教、思想、哲学などが取り扱うべきものなのです。脳の機能が回復するにつれ、自分の置かれている状況が次第に見えてくるようになります。失った過去に対する怨念や現在置かれている状況に対する不満などが心を激しく揺さぶります。薬の効果が現れ、脳が正常に機能し始めると、むしろ心は激しく動揺し、不安は増大するのです。

 私たちは脳のリハビリと共に心のリハビリに励まなくてはならないのです。精神障害の世界の中に閉じこもっていた心を解放しなくてはならないのです。闇の中で震えおののいていた心を明るい光の下へ導かなくてはならないのです。これから歩んでいくべき方向、目標を定めなくてはならないのです。

 私は長い格闘の中でそれがイエス・キリストだと信じられるようになりました。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」それが実感として感じられるようになるまでには長い年月がかかりました。アルコール依存症で入院していたのにも関わらず飲酒し、血圧が0になり、瞳孔が開き仮死状態になったところから甦った時、自分ですら自分を見捨てた時に「それでもおまえを愛している」という主の声を聞いたのです。

 その時から一度死んでいた私の心は甦りました。躁鬱病でアルコール依存症の脳は回復しませんでしたが、心は回復し始めたのです。相変わらず寝たり起きたりの生活でしたが、東京神学大学進学、牧師、結婚と私の人生は変えられました。生きる目標、意義を見つけられたことが私の心を甦らせたのです。

 私は20年前ぐらいから「私は精神障害者だけど心は健康だ」と主張し続けてきました。例え脳の機能が損なわれていても、心が健康ならばその人は健康なのです。普通の人のように生活できないとしても、人間としての誇りを失わなければその人は健康といえるのです。

 さらにこれからは、医学がものすごいスピードで進歩します。脳の機能を回復さすための手段は格段に進化します。現在の常識では語れない世界がやってくるでしょう。私自身も新しく開発された抗鬱剤パキシル、SSRIを飲み続けることにより肉体の健康も回復しました。

しかし、いくら脳の機能が回復したからといって、心が回復しなければ病気から解放されたとはいえないのです。心を回復させる手段は昔も、今も、これからも変わらないのです。自分で信じられる道を探し求め、それを見つけることなのです。脳が癒されても、心のリハビリを続けなくてはならないのです。

 信仰はその答えの一つです。主を信じる者には信仰は絶大な力を与えます。それは脳、肉体が直接癒されると言う意味ではなく、心が癒されることにより病を乗り越えることができるという意味です。かつて自分自身を卑しめていた自己から解放され、人間としての尊厳を回復するという意味です。精神病が不治の病から治る病になってきたからこそ、心のリハビリが求められるのです。