2006/05/08

Yさんへの手紙 

(05//07/15)
お手紙ありがとうございました。
編集の段階で今回の原稿でよいのであれば私には異論ありません。
使われる用語として健常者は避けてください。
健常者という言葉には健康なものと障害者を選別してしまうようなニュアンスを感じてしまうからです。
精神病は肉体の一部である脳の機能の一部欠損という意味で肉体の病気です。
その意味では他の肉体的な病気や障害と同じだと思っています。
精神病者は脳の機能が犯されることから心が病んでくるのに加え、
社会から受ける差別と偏見からも心が病んでくると言う意味で心の病気です。
肉体が病んでいる人も様々な悩み苦しみの中で心が病んできています。
その意味では肉体が病んでいる人の多くは、心も病んでいると言っても良いだろうと思います。
私は精神病をパソコンのようなものだと理解しています。
ハード(脳)が先ず壊されます。それに連れてソフト(心)も壊れてしまいます。
壊れているのにさらにいろいろいじくり回されてパソコンは完全に壊れてしまいます。
これが現在の精神障害者の置かれている状態です。
壊れたパソコンを直すには先ずハードを直さなければなりません。
このためには薬を飲み脳の機能を回復させなくてはなりません。
私の場合は選択的セルトニン再吸収阻害剤を飲み、
セルトニンの再吸収を妨げ、脳内のセルトニンの濃度を高める必要があったのです。
セルトニンの濃度が上がり、鬱状態が緩和され、脳が正常に機能するようになりました。
詳しいことは薬品名SSRIで調べてみてください。
ここまでは精神科医の領域です。
パソコンのハードが正常になって初めてソフトの異常を修正することができはじめます。
ソフト(心)を修正するのはカウンセリングです。
カウンセリングは医療技術の一つですが、心の問題を扱う以上、信仰がなければできません
心は教会の領域なのです。信仰が心を癒すことができるのです。
ハードは医療で、ソフトは教会で治すのが最善だと思います。
それからパソコンを正常に稼働指すためには、慣らし運転(リハビリ)をしなければなりません。
社会に復帰するには様々なリハビリ環境(社会復帰施設)が必要なのです。
結局この三者が協力し合って初めてパソコンは正常に稼働し始めるのです。
一人の人間を社会に戻し、人間らしく暮らせるようにすることができるのです。
この過程を経るのには強い精神力が必要です。
常に前を向いて、希望を失わず、いかなる困難にも耐えうる精神力が必要なのです。
それを与えられるのは生ける主です。生ける主との生きた交わりが必要なのです。
だから絶えず生ける主に祈り求めることが必要なのです。
祈りは人に生きる希望をもたらします。希望こそが病めるときに一番必要なものなのです。
少し長くなりましたが、私の基本的な考えを書いておきました。
何かの参考にしていただければ幸いです。