2006/05/08

「慰めの祈りー病むときに」

(05/08/12)
「慰めの祈りー病むときに」   信徒の友新刊紹介
堀 俊明  

 「病も主から与えられた賜物、特別な恵みである」に気付き、主の恵みに感謝することができれば、人は癒され、平安な心を取り戻すことができます。たとえ肉体が癒されなくても、心は甦り、主の愛と恵みを賛美することができるように変えられます。

 私は躁鬱病と「アルコール中毒」で精神障害2級の牧師です。私には、鉄格子のある病院で何年かを過ごした経験があります。私は入院中にも関わらずアルコールを飲み、人事不省に陥り、瞳孔が開き血圧が0になった時に生ける主に甦らされました。

 自分自身ですら自分を見捨ててしまった時に、復活の主は「それでもおまえを愛している」と言われました。その時に、私の心は甦りました。躁鬱病は、脳の機能の一部の欠損つまり肉体の病気ですので、肉体は癒されませんでしたが、心は甦らされたのです。

 私は、私の人生をすべて主に委ねました。寝たり起きたりの生活の中で、東京神学大学への進学・卒業、牧師、結婚、そして開拓伝道へと私の人生は開かれました。

 私の妻も病気の私を助けるためか牧師に召されました。躁鬱病は癒されないと思っていましたが 、新しい薬が開発され、薬を飲み続ける限り、健康な人に近い生活が送れるようになりました。

 今、私の体から聴力も失われつつあります。現在は身体障害4級です。教会員の祈りを聞き取る能力はすでに失われています。補聴器を付けていますが、現代医学が進歩しても回復することはないでしょう。

 人は病に陥った時には、肉体は医療に委ねなければなりませんが、心は主に委ねなければなりません。生ける主との生きた交わりこそが、人に生きる力を与えてくれるのです。人は病むと祈る言葉さえ失ってしまう時がありますが、その時にこそ、この本を開き主に祈ってみましょう。まず祈りの言葉を口から出してみることが大切なのです。

 人は祈りを口にすることで、生ける主との交わりを回復することができます。祈りこそが、人の心を癒してくれるのです。

 人は病の時に悩み、苦しみ、戸惑います。今まで信じていたものが音を立てて崩れ落ちるのを経験します。病気に対する不安、病院生活に対する不安、未来に対する不安などが私たちの心を必要以上に苛みます。肉体よりも心が病んでしまうのです。時には肉体は癒されても、心は癒されない場合すらあります。

 そのような時にこそ、私たちは主に悩み、苦しみを訴えればよいのです。自分一人で耐えるのではなく、主が共に耐えてくださります。主と共に歩めば、病の時にも希望を持つことができます。主により新しい道が開かれるのです。

 主は私たちの心を癒してくださります。たとえ肉体がいかに病で傷つこうとも、心が病まない限り人は希望を持って生きることができるのです。

 人は病に陥った時に、特に主を身近に感じます。病の時、生ける主との交わりで心が癒されることこそが、主から与えられた特別な恵みなのです。たとえ現代医学の限界に生きる道が絶たれたとしても、天国への道を平安に歩むことができるのです。