2006/05/08

精神障害者ではあるが心は健康である

「精神障害者ではあるが心は健康である」 (06/04/01) 
 私は、躁鬱病でアルコール依存症です。主治医の勧めで障害年金の申請をしましたが、診断書には「配偶者(主任牧師)の介護を受けて牧師の職を努めている」と書かれていました。現在、精神障害2級に認定されています。妻の助けがなければ、一人で生活できない状態です。

 発病したのは、1972年に京都大学を卒業して、「原子力発電所からの温排水が生物に与える影響」を研究していた時でした。まだ日本では環境アセスメントという言葉が市民権を持っていなかった時です。

 研究機関に努めて2年目の木の芽時に発病しました。原子力発電の環境アセスメントというストレスの多い仕事に就き、眠れない日が続きました。睡眠薬の変わりにアルコールを飲みましたが、どれだけ飲んでも眠れなくなりました。
 
 当然勤務態度にも影響が出始め、アルコールの匂いをさせながら出勤したり、突然欠勤するようになりました。それに加え、私には、何か分からないけれども、普通の人とどこかが違うという思いがありました。それで、精神科に受診すると躁鬱病であると診断されました。

 また、アルコールをだんだん手放せなくなりました。鬱の時にはアルコ?ルを飲んで総てのことを忘れようとしました。躁の時はアルコールを飲んで騒ぎ回りました。そういう私がアルコール依存症になるまでにはそう時間がかかりませんでした。

 職場の実験用のアルコールにさえ手を出すようになってきました。アルコールを飲み人事不省になり、職場からの連絡により、母親が迎えに来るということがしばしば起き始めてきました。 最初は内科に入院したのですが、外に出てゆき、アルコールを飲んで人事不省になり、救急車やパトカーの面倒になるようになりました。

 ついに内科では面倒を見られないといわれ、精神科の鉄格子の中に入れられました。それでも考えることは、今度退院したら、いかににうまくアルコールを飲むかということだけでした。明らかに人間失格という状態でした。

 私は、10年間に10回以上入退院をしたように思えます。鉄格子のある病院で過ごした年月も3年以上になるのではないかと思います。その間離婚を経験し、仕事も6年しか続けられませんでした。

 客観的には、明らかに精神障害者ですが、私にはそれを認めることが出来ませんでした。しかし、私のような人間は生きていく資格がないと思っていました。自分自身を愛することが出来なくなっていました。ただ誰にも迷惑を掛けずに死にたい、そう思うようになりました。 

 その様な私に転機を与えたのが、「断酒に捧げん」という一冊の本でした。断酒会の初代会長で松村春繁氏の生き様を書いた本でした。その本を読み始めて、初めて自分がアルコール依存症ではないかと思いました。

 そしてアルコールだけは止めようと決心して、断酒会発祥の地である下司病院に、金沢から高知まで単身で来て1年間入院をしました。しかし、それだけの意志があったのに関わらず、無意識に自動販売機のビールを買って飲んでしまいました。

 それからのことは覚えていないのですが、急性アルコール中毒で瞳孔は開き血圧は0となりました。それから、息を吹き返した私は生きることに絶望して死のうと思いました。するとその時に、突然イエス様の「それでもおまえを愛している」という声が聞こえました。

 悩み苦しんでいる私と「共に歩む」と言われたのです。自分自身でも愛することの出来なかった私を、イエス様は「愛している」と言われたのです。

 その時に私は躁鬱病でアルコール中毒の自分を認め、初めて自分自身を愛することがで来たのです。それから20年間断酒は続いています。躁鬱病とも仲良く暮らしています。 

 私は1984年12月に宗教とは関係なく、精神障害を持った仲間と共に「西風の会」を作りました。その中で、世間では「心の病」という表現を使いますが、なぜ精神障害者であるから「心が病んでいる」のか疑問に思いました。

 精神障害者の「心が病んでいる」というのは、いわゆる健常者の傲りりのように感じられます。 精神障害とは、脳という体の一部の、機能不全だと思います。身体障害の延長線上にあると思っています。

 ですから私は「精神障害者ではあるが心は健康である」と声を大にして叫ばずにはおれません。 医学的な治療は必要不可欠ですが、それと同時に心を豊かにするために、その人なりのものを身に付けいくことが大切です。

 西風の会に行けば、様々なタイプの精神障害者がいます。それらの人との交わりの中で、自分をもう一度見直すことがで来ます。その中で、自分を客観的に見つめ直すことが出来るし、その様な自分を受け入れることが出来るのです。

 そして、私達精神障害者は、精神病から解き放たれ、新たな道を歩み始めつつあるのです。

2 Comments:

Anonymous まさこ said...

よかったですね。立ち直れて。

わたしの方は、もう、気分的にダメかも。いえ、お酒じゃなくて。精神的なものです。うつのときは、しんどいですね。

地元、高知のがんばりやさんの牧師さん、どうか、お元気で。  まさこ

4:29 午後  
Anonymous 匿名 said...

堀さんのケースでは心の問題は関係ないでしょう。仕事からくるアルコール依存症とか鬱病とかは完全に病気であって、心の病とは別物だと、僕は思っています。残念なことに、一般社会ではどうもその考え方が浸透していないようにも感じます。
ただ鬱病は、今社会問題になりつつあるようです。その原因は、やはり仕事からのストレスが多いようです。とあるテレビワイドショーでクローズアップされていました。ある日を境に急に部屋から出れなくなってしまうとか。
>>私のような人間は生きていく資格がないと思っていました。自分自身を愛することが出来なくなっていました。ただ誰にも迷惑を掛けずに死にたい、そう思うようになりました。 
これは、僕も感じたことがあります。動機は異なりますが、自殺の方法すら考えたこともあります。もともと昔からストレスの連続で育ってきましたので、それに押し潰されそうになり、そうなってしまったのかもしれません。最近はシャカリキに頑張る友だちを見て、今の年でくたばるわけにはいかんな、とも感じ始め、複雑な気持ちになってます。

10:07 午後  

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