2006/05/08

生き甲斐ある人生を 

生き甲斐ある人生を (06/05/01)
ノエル
 障害者福祉法が施行されましたが、相いも変わらず精神障害者の社会復帰幻想が一人歩きしています。私は研究職の公務員でしたが鬱病を発病してから何回も療養休暇を取り、最後は2年間休職をしました。職場が私に求めたのは朝8時半に出勤をし、午後5時まで職場にいることだけでした。研究室で一日中音楽を聞いていても良かったのですが、耐えられませんでした。最後はトップが復職を促すために故郷まで迎えに来てくれたのですが、期待に添えませんでした。鬱病に労災が適用される前でしたが、病気退職が認められ、退職金も5割程割り増しになりました。私は『なぜ普通の人のように働けないのか』と悩み抜き、精神も肉体もぼろぼろになりました。アルコールの酔いの中にしか生きられない人間になってしまったのです。精神障害者にとって私の職場ほど恵まれた環境はなかったでしょうが、それでも復職はできませんでした。『普通の人のように仕事ができないから障害者なのだ』と認められたのは断酒してから10年以上も経ってからです。私は与えられた人生を喜びを持って生きられるように変えられたのです。
 もし精神障害者が普通の仕事に就いたとすれば、当然生活保護は打ち切られ、障害年金すら支給されなくなる可能性があります。障害者にはフリーター程度の仕事しかありませんので、せいぜい月10数万円も稼げればよい方でしょう。その一方で家賃、国民年金、国民保険、医療費その他の公的負担、5万円程度は支給されなくなりますし、生活費は全く支給されなくなります。自由になるお金は生活保護を受けていた時よりも激減します。毎朝8時には部屋を出、夜6時までは帰られない生活が週5日以上続きます。どんなに疲れても、体調がどれほど優れなくとも仕事を休むことはできません。日々の生活からゆとりが失われ、ストレスは蓄積し、再発、再入院の可能性は極めて高くなると思われます。生活にゆとりを持ちたいと思い仕事を始めても、結果はその正反対なものとなるでしょう。
 私たちは、実現の可能性のない夢を追い続け、日々の生活の中で不満を抱いて生活するよりも、むしろ現実に置かれている状況の中で、実現可能な生き甲斐を求めて生きるべきではないでしょうか。社会も精神障害者に労働の場を提供する方が、福祉にかける費用よりもはるかにコストがかさみます。精神障害者が福祉を活用し、福祉の場で生き甲斐を求めるのが双方にとって利益になります。グループホーム、作業所、デイケアーなどを積極的に活用すれば健康な人が味わえない生き甲斐を見出すこともできるでしょう。少なくとも衣食住が保障され、自分の時間を自由に使うことができるのは、サラリーマンにとっては夢の世界です。
 私は家内の扶養家族ですので、家計と私の会計とは別です。障害年金を受給しているので月2万円を超える医療費を払っても自由に使えるお金が多少手元に残ります。毎日インターネットで月315円と525円で購読している新聞を読み、図書館で借りてきた本を読んでいます。我が家の食費は夫婦で月3万円を切りますが十分に満たされた生活を送っていると感じています。サラリーマンを続けていたならば定年退職後でしか味わえないような豊かな生活を日々楽しんでいます。