2006/06/27

断酒会で救われた生命

 今から20年前になりますか、私は雪国金沢から流刑の地、南国土佐に流刑にされました。アル中である私は金沢におられなくなったのです。断酒会発祥の地、高知に行くと家族を納得させ、高知に来ました。鉄格子の中から出られるのならば何でもするという思いがあったのも事実です。
 断酒会にお世話になりながらも飲酒し、断酒会発祥の地である下司病院に入院させられました。それでも懲りず、院内飲酒をしたらしいのですが、前後の経緯は全く覚えていません。気がつくと保護室に寝かされていました。
 「あっ!またやってしまった」そう思い、「総てが終わった」、目の前が真っ暗になったときに、「それでも、おまえを愛している」そう言いわれている主の御姿を感じました。自分を自分自身ですら愛することのできなくなった私を、主は愛していると言われたのです。私は生ける主から新しい生命を与えられたのです
 後から聞いたところによると、血圧は0になり、瞳孔が開いていたそうです。下司院長の適切な治療により息を吹き返したそうですが、知り合いの看護婦さんに聞いたところ、私のような状態に陥ったら、男性はそのまま息を引き取るケースが多いそうです。
 心身共に新しい生命を与えられた私は、生まれた初めて生きたいと思いました。それまで、鬱病であった私は生きる気力を失っていました。私には自殺するだけの気力もなく、ただ酔いの向こうにある暗黒の世界の中で、意識を失っているときのみが、私の心が安らげるときでした。
 新しい生命を与えられて、私の人生は180度変えられました。先のことを考えず、断酒一途に生きる決心をしました。断酒をしない限り、私には未来がないからです。
 先ず、院内で開催される断酒会だけではなく、院外の断酒会にも、出席できる限り総て出席しました。毎朝朝礼があり、昼か夜かに院内、院外で例会がありました。例会がない日は年に2,3日しかなかっただろうと思います。一年365日、延べ400回以上は例会に出席しただろうと思います。
 次に、毎朝3時に起きて、常備灯の下で手紙を毎日3通をノルマにして書きました。迷惑をかけた人々に手紙を書き送ることで過去を償おうとしました。単に棚卸し表を造るだけではではなく、具体的に手紙を書くことが、断酒のためによいと思ったからです。
 さらに、例会に出席した後には必ずノートに記録を付けました。記録を付けることで例会の内容をより深めようとしました。断酒を失敗した例を見聞きすることが、断酒への近道になりました。
 しかし、鬱状態に陥ったときには、体温は35度を切り、体温計の水銀柱が上がらず、目盛りまで届きませんでした。血圧も60mm を切るときもしばしばでした。同室の人が「寝かしたままにしておけ」と、検温に来た看護婦さんをと追い返したくらいでした。
 1年間の闘病生活は、私の一生の中で最も充実した日々であったと思います。生まれて初めて、心身共に、持てる力を総て出し切りました。
 世の中に対し斜に構えていた私は、高校時代から授業をさぼり、受験勉強もせず、行き当たりばったりの生活を送ってきたからです。
 断酒を継続している人は「アル中で良かった」と言いますが、決して強がりではありません。アルコールでごまかしてきた人生に、正面から向き合い、過去を精算しようとして努力し続ける人間のみが言える言葉だと思います。

先ずブログを立ち上げよう

マスコミは新聞までがワイドショー化してしまいました。ホリエモンや村上代表の逮捕は特捜部による国策捜査だと思います。後から振り返れば、歴史のターニングポイントであったと思える事件になると思います。
 マスコミは彼らを時代の寵児としてもてはやしましたが、特捜部が乗り出すと悪の権化のように取り扱います。彼らが犯罪を犯したことは事実でしょうが、一罰百戒の意味合いが強いように思えます。彼らに対するマスコミのパッシングは常軌を逸しているように思えます。
 むしろ、ゼロ金利政策を解除する時期に合わせたように、彼らを立件させた政治的背景に焦点を当てた報道がなされてしかるべきですが、新聞にすらその様な視点からの論説が見られないのが現実です。
 テレビのワイドショー化は、視聴率という虚像に踊らされている結果ですが、新聞には冷静な状況判断、歴史的な視点で事件の背景を掘り下げてもらいたいと思いました。いずれにしろ、今回の騒動を見ていて、日本のマスコミの限界を感じさせられました。
 私たちにはマスコミからの情報しか与えれてきませんでしたが、ブログという新しいメディアが登場しました。官だけが情報を独占する時代に風穴が開いたのです。
 検索サイトの発達が情報の海の中から必要な情報を探し出すことを可能にしました。情報の海の中にはマスコミで報道されていない情報が隠れている可能性があります。少なくと、もその可能性があるという事実が、官に対する圧力になります。
 民主主義は、情報が共有されることを前提として成り立っています。情報官制が敷かていれば、いかに民主主義的な政体であっても独裁主義、全体主義と変わりはありません。
 民主主義のレベル、民度は、情報がいかに広く公開され、活用されているかにかかっています。ペンが銃に勝てる国にならなければならないのです。
 日本のブロードバンドはハードでは世界一と言われていますが、それを活用するソフト面ではかなり劣ると言われています。
 私もブログを始めるまでは、光ファイバーも宝の持ち腐れでしたが、ブログを始めることで世界が変わりました。先ずブログを立ち上げてみる。そうすれば、ブログの海に漕ぎ出すことがでるでしょう。 

医療費の上限を年間支払額に対しても設けよ

 ヨン様を見ていて思ったのですが、韓国では手術の前に手術代を前納するために、家族が四苦八苦していました。日本では想像できない風景なのですが、おそらく医療費の前納が世界の大勢で、日本みたいに先ず手術を行って、手術代はその後に考えれば良い国は少ないと思います。
 国民皆保険制度は、戦後の日本が誇るべき制度だと思いますが、それが崩れかけているのが現状ではないでしょうか。
 月額の支払い上限額が定められており、高額医療費は払い戻されますが、短期で治る疾患ならばそれでよいのかも知れませんが、長期にわたる疾患では家計に与える影響は重大です。
 母親が大動脈瑠が破裂しそうになり緊急手術を受けましたが、入院期間は2ヶ月くらいだったように思います。手術代、入院費があまりにも安いので逆に驚かされました。
 一方、内科で入院した場合はそうはいかないだろうと思います。入院期間が長期になると予想され、医療費の負担はかなりになると思います。
 さらに、慢性の疾患、インスリン療法、抗ガン剤投与等では、月ごとの支払額が高額医療費で払い戻されたとしても、長期間払い続けなくてはならず、家計に及ぼす影響は多大なものとなります。
 解決法として、実際に支払った1年間分の医療費を合計して、高額医療費払い戻し上限額を適用する制度を創設すればよいと思います。
 例えば支払った医療費が月額上限額の半年分を越えれば払い戻しをするなどが考えられます。
 このように、慢性疾患に対す医療費の上限を年間支払額に対しても設けるのが、医療難民を防ぐ具体的な制度改革になると思います。

自衛隊、イラクより撤退

 自衛隊のイラク駐屯部隊への撤退命令が発動されました。イラクでの2年半にわたる自衛隊の任務は無事終了しました。小泉首相は日本の単独撤退も辞さない覚悟でいたようですが、政治状況が急変し、国際社会と連動して撤退できるようになりました。これで小泉劇場は事実上幕を下ろしました。カーテンコールとして日米首脳会談がセットされているだけです。小泉首相により日本は日米同盟に大きく梶を切りました。ブッシュ大統領との個人的信頼関係が日米関係を濃密なものへと変えました。日米同盟の証しとしてなされた自衛隊派遣も無事終了しました。政治家小泉純一郎は、良くても、悪くても、稀代の政治家でした。彼の評価は歴史が定めるところですが、彼の出現で日本の政治は確かに代わりました。
 イラク戦争は、今から振り返れば大儀のない戦争でした。アメリカはイラクが大量破壊兵器を保持し、それを使用する意志を持つと国際社会に説明し、イラクに侵入しましたが、結局大量破壊兵器は発見されませんでした。ホワイトハウスが情報操作をした可能性も排除できません。しかし、イラクでは憲法が制定され、国会も招集され、政府も樹立されました。ムサンナ州では治安が保たれ、自衛隊は一人の負傷者を出すことなく、一発の実弾も発射することなく任務を終えることができました。自衛隊の派遣部隊は安全を最優先にし、設営された陣地に籠もり、人道支援が十分になされたとように見えませんでしたが、現在の日本ができる具体的な支援としては限界でした。自衛隊派遣を積極的に支持する人たちから見れば、不満の残る自衛隊派遣でしたが、日本の法体系からすれば、グレーゾーンだったと思えます。日本の得意な分野は、自衛隊派遣よりも経済的な支援だと思えます。ムサンナ州も日本に期待するのは雇用の拡大とインフラ整備です。特に、発電所建設に期待が寄せられています。深刻な電力不足の解消と失業対策を望んでいるようです。これからは自衛隊ではなくODA、政府開発援助の出番です。自衛隊派遣では国論が二分されましたが、ODAについては異論が少ないと思います。日本の得意とする分野ですから、早急に発電所建設やインフラ整備に取りかからなければならないと思えます。自衛隊の人道支援からODAに速やかに切り換え、日本からの援助を滞らないようにするのが日本に課せられた課題です。
 自衛隊派遣は現在の法体系からすればグレーゾーンで 法を整備する必要があるのですが、憲法改正論議を含めて、次期総裁に引き継がれることになりました。日本は法治国家であるはずですが、現実に合わせて法を拡大解釈する傾向があります。平和憲法、憲法9条についても、自衛隊の存在が先にあり、自衛隊を合法化するために、憲法を無理に拡大解釈したとしか思えません。憲法改正論議は民主党の代表が小沢代表に代わり下火になりましたが、、私たちの望むこの国の未来像を、国民の間で幅広く討議する必要があります。自衛隊の海外派遣を是とするか非とするかは憲法改正論議の本質に関わります。憲法改正は身近な生活とは関係ないと錯覚しがちですが、社会生活そのものが根本から変えられるのです。

個人情報保護法を読み直せ

 高知県やぷらっとこうち運営委員会は、個人情報保護法を良く理解していない、理解していないふりをしている?のではないかと思わざるを得ません。
 個人情報保護法は、個人情報の秘匿と開示がセットになっている法律です。個人情報保護法では、個人情報の管理者は、本人から個人情報の開示を請求されたら、個人情報を速やかに本人に開示しなければならないと定められています。
 本件では、当事者二人が二人に関する個人情報の開示を求めているのですから、管理者には情報を本人に開示する義務があります。第三者の個人情報に関わる部分を、墨塗りにして開示するなどの工夫をすれば、開示できない性質の情報とは思えません。
 最近行政が、個人情報保護法を不適切に運用している例が、後を絶ちません。行政に不都合な情報を、個人情報保護の名目で隠蔽する役人の体質が、目に付きます。官僚が情報公開法ができたので、都合の悪い情報を隠蔽するために、個人情報保護法を作成したのかのように思われます。
 個人情報保護を名目にすれば、何でもかんでも非開示にできると思うのは、個人情報保護法を良く理解していない、していないふりをしている?証拠です。今回のケースは、管理者の不作為による情報の隠蔽に相当します。
 行政の場で解決できないのならば、司法の場で問題を解決するのを勧めます。公務員である高知県の職員は、裁判所からの出頭命令を、拒否することはできないはずです。運営委員会の責任者、事務局長、具体的に書き込みを削除した職員は、事情聴衆に応じなければなりません。
 議事録は、証拠として裁判所に提出を求められるでしょう。おそらく、本人が開示を求めている個人情報について、開示できない法的な理由を明示できなければ、ぷらっとこうちは個人情報保護法違反に問われるでしょう。 
 私はブログを初めて2ヶ月にしかなりませんが、ぷらっとこうちの対応が理解できません。3年前の出来事は、ブログの世界では時効だと思えます。ぷらっとこうちの対応は、幽霊見たり枯れ尾花の世界、としか言いようがありません。

医療福祉保護の創設を

現在の健康保険でも、高額医療費は限度額を超えた分が戻ってきますが、これは一時的に病気になった人のための制度のような気がします。
 一時的な支出ならば貯金、医療保険、借金で賄うことも可能ですが、慢性疾患、例えばインシュリン療法、抗ガン剤治療等は何年間、時には一生治療費を払い続けなくてはなりません。家計に及ばす経済的な負担は、非常に大きなものとなります。
 慢性的な疾患に対する保険適用を別立てにし、高額医療費の限度額を、半年あるいは1年を通算して支払った額に対して適用すれば、家計の負担をかなり緩和できると思います。
 さらに、医療費、福祉保健費に対して医療福祉保護を創設すればよいと思います。私には障害年金が支給される前に、市役所に医療保護を求めに行きましたが、0か生活保護を受けるか2つに一つだと言われ、帰ってきた経験がありますました。
 医療福祉保護が創設されれば、おばあさんも生活保護を受ける必要がなく、医療福祉保護で家族と共に生活することが可能になると思います。

2.26事件に散った若い魂

 私なりに2.26事件を調べてみました。一言で言えば、軍中枢部を占めるエリート軍人に対する現場で働く若い将校、隊付将校の反乱ですが、背後には軍部よりのマスコミが世論を操作した気配があります。
 若い将校は疲弊した農村や都市部から徴兵されて来た兵士と寝食を共にしました。彼らには社会の底辺で生活している庶民と共感する想いあったのでしょう。彼らは日本に第二の維新、昭和維新が必要だと純粋に思い込んでいました。
 彼らに君側の奸を取り除くように扇動した黒幕がいたのではないかと思われますが、彼らのクーデター計画は幼稚なものでした。宮城を占拠すれば、昭和天皇の叡断により、昭和維新が成功すると信じ込んでいました。彼らは結果として軍部の前に立ちはだかっていた元老の力を削ぎ、統制派(エリート軍人)の粛軍に協力し、皇道派が軍から一掃されました。
 軍部の台頭には、マスコミの意図的な世論操作が、大きな役割を果たしました。マスコミが社会の警鐘の役割を放棄し、権力に迎合すれば、全体主義国家(ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリア)が出来上がってしまうのです。結局、軍部による報道管制を許したのは、マスコミ自身がマスメディアとしての使命を自ら放棄した結果です。
 日本丸はバブル崩壊で、沈没しかかりましたが、小泉船長が自力航海ができるまでこぎ着けました。小泉首相のワンフレーズ政治は、政治の世界をお茶の間に持ち込み、既成の政治家と官僚の談合で動いていた日本の政治システムに風穴を開けましたが、大きな傷跡も残しました。
 小泉首相はマスコミを活用した日本で最初の政治家ですが、彼の求心力の源は世論の圧倒的な支持でした。彼の後継者を決まるのも世論次第です。談合で決めるのは世論が許さないでしょう。従来は世論をマスコミが誘導してきましたが、これからは国民一人一人が首相を決める時代です。
 私たちにはブログという武器があります。ブログの世界では、既成のマスメディアとは質的に違った世論形成が可能であると思います。おそらくブログの世界での人気投票が、総裁選挙を大きく左右するでしょう。明日の日本のために、ブログの世界でできることが、たくさんあるはずです。

健康弱者への配慮を忘れるな

 私は精神障害2級で障害年金を受給しています。非課税所帯の扶養家族ですが、現在医療費は精神科が月2000円位、内科がインシュリン療法を受けているので月20000円位かかります。障害年金を受給していなければ、生活保護を受けるしかありません。
 内科は精神病に関係ないので公費負担の範囲外です。障害年金を受給していなければ、月々20000円を越す医療費を払うことはできず、生活保護の申請をしなければ生活を維持していくことはできません。平均的なサラリーマン所帯でも、かなり重い負担だろうと思います。
 病気は、収入の多寡を選んではくれません。むしろ、貧しい人の方が病気になる確率が高いように思えます。もちろん生活習慣病は自己責任の面もありますが、発病した人に対しては生活が破綻しない範囲での負担を求めるべきでしょう。
 ある低所得の人が高額医療(抗ガン剤治療)を受けることができず、生活保護を受けている人(医療費の自己負担はなし)が最新の医療を受ることができるという不平等が医療の現場で起きていると訴えていました。
 国民皆保険は日本が世界に誇りうる制度です。社会的地位により、受けることのできる医療に差ができるのは、国民皆保険の精神からしても大きな誤りです。
 私たちの側にも、医療費を増大させた責任があります。不必要な医者通い、過剰な治療を求める、不適切な入院等、個人の責任に帰するべき要因もありますが、赤ひげ先生が必要とされる社会は、21世紀の日本に相応しい社会だと思えません。
 病院や施設側にも、従来の政府におんぶにだっこの時代に安住しすぎた面もあると思います。経営者側の経営努力,自助努力が不可欠ですし、そこに働く人々の意識改革も必要ですが、制度としても健康弱者を救済する仕組みを創設する必要があります。

2006/06/19

市民運動の輪を広げよう

 私が福井県水産試験場に就職し、日本で初めての「原子力発電所からの温排水が生物に与える影響に関する研究」に携わっていた時に、母校である京大の魚災研(反原発グループ)が、原子力発電所周辺で私に一言の断わりもなく「試験場のは堀さんも原発に反対しています」と書いたビラを配布しました。
 ある日、突然総務課長から呼び出され、ビラを突きつけられました。私には青天の霹靂で、前後の事情が全く理解ず、ただ身に覚えがないと言うしかありませんでした。「知らなかったのなら仕方がない」、不問と言うことになりましたが、理解してくれたかどうかは疑問です。今から振り返ると、就職して間もないときから要注意人物とされていたのかも知れません。
 私は確かに原発に反対していましたが、現場を知らずただ観念論だけが先走っている現状に対して、科学者として批判を抱いていました。先ず現場に出て何が起きているか見極めるのが科学者としての使命だと思い、日本で最初の原発がたった福井県に就職したのです。
 魚災研の連中は全共闘運動しか経験していないので、反原発のためならば何をしても許されると信じ、社会経験がないので彼らの行動が私をいかなる立場に追い込むかを想像できなかったのです。
 NGOが国際会議で暴れたり、グリンピースが過激な行動をしているのを見ると目を背けたくなります。彼らから見れば敵に見える人たちの中に、彼らと志を同じくする人たちが必ずいるのです。ただ方法論が違うだけです。
 市民運動の特徴は幅広い人たちに働きかけていくところにあります。政治団体と違うのはイデオロギーに縛られない点だと思います。そういう点では、ブログは従来のビラ配りとは違う、市民運動の新しい武器、メディアだと思います。

エネルギー源としての原子力

 私は日本の原子力発電所の営業第1号炉、日本原子力発電所浦底発電所の営業開始から、「原子力発電所からの温排水が生物に与える影響に関する研究」をしてきました。
 温排水は温泉をイメージすればよいかも知れません。真冬でも排水口に潜れば寒くありませんし、夏は汗をかきます。雪が散ちらつく海面から湯気が上がっている風景は、露天風呂のイメージです。
 原電から排出される温排水が生物環境に与える影響は、当初想定されたいたよりもかなり低いと言うことが分かりました。ある研究者は若狭湾全体の生物相が変化すると指摘しましたが、その可能性は無視できうるほど低いと私は考えています。
 例えば発電開始当初は、排水口から生物がいなくなりましたが、5年単位で見れば、付着生物相が形成され、海藻類も繁茂し、海中林(ホンダワラ類)も形成されてきます。
 その原因として考えられるのは、大量の温排水の放出により、外海からの冷たい伏流水が流れ込んでくることと、温排水が団塊状に流れ、水温の変化が著しいところにあると思います。
 従来の主張の根拠は、水温が3~6度昇温することを前提にした、研究室の中での実験結果を基に推定されたものでしたが、温排水が流れ出る水域の昇温は、短期間に変化するものであり、水温を恒常的に昇温させた実験結果とは同一視できないことが分かりました。
 火力発電所は熱効率が良く、発電量からすれば温排水の量は少ないのですが、温排水が出ることは原子力発電所と同じで、同様の調査結果が出ました。
 文明社会を維持するのにはエネルギー源が必要です。理論的にエネルギー源は熱効率を考慮すれば、廃熱を避けられまえん。また排出され、廃棄される放射能、炭酸ガスをどう取り扱うかも大きな問題です。
 原子力発電所は炭酸ガスを排出しない点で、クリーンなエネルギーですが、放射能漏れ、放射能廃棄物は、原電の構造上避けて通れない問題です。化石燃料が高騰しており、エネルギー源に対する安全保障上の問題も避けて通れません。
 文明社会を維持するために、エネルギー源に対する国民的な議論が必要ですが、少なくても原子力発電所の安全性を向上させ、炉心溶融事故が起こりえないことを証明できなければ、私たちは安心して生活をすることができません。一度、チェルノブイリ発電所のような炉心溶融事故が起きれば、死の灰が撒き散らされ、日本の機能が停止するからです

2006/06/18

高知女子大、社会福祉学科での講義を終えて

 高知女子大の社会福祉学科で「精神障害者として生きる」という題で講義らしきものをしました。19~20歳のお嬢さん方を前にした講義は、少し気恥ずかしくもありましたが、冷房完備の教室では思っていたことを十分に伝えられたと思っています。
 私はあなた方は選ばれた人たちだと言いました。このような時代に他人の命を救える職業は尊いと思うと言いました。若者が進路を見失い、フリーターをしているような時代に、社会福祉を目指して勉強している彼女たちからは、新鮮な息吹を感じさせられました。おそらくソーシャルワーカーとして福祉の一線で働く彼女たちは、これから様々な体験を積み上げていくでしょうが、初心を忘れないで欲しいと願いました。
 彼女たちが働く職場では、世の差別や無理解との闘いになると思います。ノーマライゼイション、障害者を社会の一員として認めるのは、理念としては正しいのですが、障害者が町の中で生活するのには、具体的な障害が多すぎるのが日本の現状ではないでしょうか。
 あるいは精神障害者は多くの人にとって「何をするか分からない人」なのですが、それを口に出して言うことは許されない時代になったので、誰も口に出しては言わないだけです。例えば、グループホームを町の中に造ろうとすれば、必ず反発が起きます。理念や法的に問題がなくとも、周囲の無理解の中でグループホームを立ち上げれば、村八分にされて苦労するのは障害者自身です。
 障害者福祉の課題は、周囲の無理解や差別から障害者を守ることにあります。おそらく障害者差別をなくす運動、啓発運動では効果が上がらないでしょう。理性や知性や信仰のレベルの問題ではなく、生活感覚のレベルの問題だからです。人間の生活感覚に根ざした思いこみは、体験を積み重ねることでしか解放されないのです。地道ですが実績を一つ一つ積み重ねるのが、最も賢明な道だと思えます。急がば回れ、焦らず忍耐する、それが私が彼女たちに訴えたかったことです。

Re.哲学のなかった全共闘時代

 今から振り返ると、全共闘時代は客観的に見れば猿回しのサルであったかも知れませんね。しかし、一人一人は真剣にあの時代を生きていました。
 私の知人の中には殺された者もおり、障害者にされた者もおります。その逆に、就職し、仕事人間になり、エリートとなった人間もいます。
 私たちの世代は過去を真剣に総括することなく、社会の歯車となり、高度成長を支えてきました。大人になりきれない世代が、考えることを放棄し、その日暮らしの生活を送ったから、この国はバブルに突入したたのでしょう。
 この国の指導者には哲学がなく、金勘定しかできなかったように思えますが、それを許し、それに踊らされた団塊の世代は、日本の現在の姿に責任があると思います。日本を経済大国にしたのも団塊の世代ならば、破綻寸前に追い込んだのも団塊の世代だからです。
 私たちの世代には比較的豊かな老後生活が保障されていますが、これからの時代を生きなければならない若者には、辛い時代が到来するかも知れません。
 私たちの世代がもう少し日本の未来に対し想像力を持ち合わせ、問題処理能力に優れていたら、現実の世界も違ったであろうと思います。
 団塊の世代は日本の若者に対し贖罪をしなければならないのだろうと思います。せめて心身共にまだ働けことのできる老後の生活を、社会のために役立てたいと自戒しています。

村上代表とホリエモンの残した教訓

 村上ファンドの村上代表がライブドアの堀江社長、ホリエモンに続いて逮捕されました。金融緩和の流れの中で、株を武器に一時代を築き上げた二人の逮捕で、兜町も落ち着きを取り戻したかに見えましたが、余震はまだまだ続くようです。二人は金融緩和の流れの中に咲いたあだ花かも知れませんが、日本の金融取引の未熟な点を鋭く突き、あぶく銭を手に入れた手法は鮮やかでした。外資が未成熟な日本の市場を食い荒らす前に、株式市場、経営者に警告を与えた点に彼らの歴史的使命があったのかも知れません。戦後の焼け跡の中にできた闇市で財産を築き上げ、一流企業のオーナー社長となった人たちと大差はないと思えます。
 村上代表の登場は銀行や系列企業で株を持ち合い、サラリーマン社長が絶対的権限を奮っていた日本の会社制度に一石を投じました。村上代表の登場以前は、日本の経営者の視線は株主の方を向いていませんでした。彼らは株主でもないのに会社を自らの所有物のように錯覚していたのです。そこに村上代表が株主の権利を主張して登場したのです。彼は会社の資産に対し株価が相対的に安い企業の株を買い占め、物言う株主として、会社に株主に対して利益を還元するように迫りました。企業は株主対策として特別配当などをせざるを得なくなり、株価が上昇し、買い占めた株を高値で売却した村上ファンドは膨大な利益を得ました。
 村上代表が出現する前の日本の企業は、株主を単なる投資家ぐらいにしか認識していませんでした。株主総会に2~3時間もかかればニュースになるぐらい、株主の権利は無視されてきました。バブル崩壊で銀行が不良債権を積み上げ、優良企業の株さえ手放さざるを得なくなったので、一般株主の発言権が相対的に増してきました。株価は低迷を続け、会社の資産と株価とが釣り合わない企業が出てきましたが、そこに目をつけたのが村上代表です。彼は経済産業省でM&A、企業の合併・買収に関する法律を作成した官僚でしたが、官僚の世界に見切りをつけ、村上ファンドを旗揚げしました。逼塞感の漂っていた経済界には村上代表に期待する人たちも多かったようです。福井日銀総裁も、当時は民間人でしたが、彼に期待した一人でした。彼を支持した財界人も少なくありませんでした。村上代表のファンドを立ち上げた当時の理念を評価する人は多いのですが、インサイダー取引で利益を上げるようになっては、ただの総会屋と変わりはありません。
 村上代表はホリエモンを利用してライブドアのフジテレビの乗っ取り騒動に紛れて膨大な利益を上げました。主役はホリエモンでしたが、脚本、演出は村上代表のようであったようです。この二人に代表されるような新しいビジネスが日本でも起きてきました。世論を巻き込み株価を左右する手法は、個人投資家を増やし、デイトレーダー、一日に何回も株取引をする人を増やしました。インターネットで株の取引も気軽にできるようになり、学生でも億万長者になれる世界を創り出しましたが、ハイリスク、ハイリターンの世界に日本人は馴染めないようです。金融の世界では日本は後進国で、彼らの登場が良い刺激を与えられれば、禍転じて福となるのかも知れません。

高知県は合理的な対応をせよ

 私はブログなるものの存在を知り、自ら始めてみたのは2ヶ月前ですが、ブログの世界に新しい可能性、新しい世界を創り出すエネルギーみたいものを感じています。ブログは誰でもが発信でき、誰もが受信できることが大前提です。グーグルは中国では中国政府の軍門に下りましたが、自由主義、民主主義国である日本では中国のような情報管理を認めてはならないのです。
 私たち団塊の世代は、全共闘運動で深く傷ついているので、過剰に反応する面があることは否定しませんが、権利を一度手放すと、それを取り戻すためには膨大なエネルギーが必要、時には取り戻すことが不可能になることを身をもって味わわされているのです。憲法でもそうですが、原理、原則を一端揺るがすと収拾が付かなくなります。
 実質的に高知県が管理する掲示板で、情報管理を一度認めたら、それが前例となり、代々引き継がれていくのが、日本の官僚制度の特徴です。役人は転勤しますが、前例は金科玉条のごとく役人の言動を縛り続けるのです。悪例を今絶たなければ、抗議があったが、それが認められなかったという前例が残ります。
 少なくとも、掲示板の閲覧者は、このような議論があったことを記憶しているわけですから、曖昧な決着は許されないと思います。私はことの経緯を全く知らないがゆえに、高知県の対応が地方自治体として非常識(法的合理性に欠ける)、運営委員会の運営が非民主的に思えます。

国民年金に加入しよう、障害者になってから後悔しても遅い!

 私は躁鬱病とアルコール依存症で精神障害2級です。障害年金を受給しています。私が公務員を辞めた時には、精神障害は公務災害、障害年金の対象と認められていませんでしたが、準公務災害扱いを受け、退職金は割り増しにされ、廃疾年金の申請書類が送られてきました。
 主治医からは、例え公務員でもサラリーマンは勤まらない、自由業、著述業や翻訳などの仕事をしなさい、と言われていましたが、私には研究者として生きる希望がありました。廃疾年金の受給は私の可能性を否定することに等しかったので申請をしませんでした。
 精神障害者の中には、私のように既に年金が支給される状況にあっても、本人、家族が病気を認められない、外聞をはばかる、などの理由で受給してない人が少なくありません。精神障害者にも障害年金が支給されるように年金制度が変わり、初めて障害年金を受給するようになった人も少なくないと思います。
 しかし、精神病を発病しても国民年金に加入していなければ、障害年金を受給することができません。民間の生命保険ならなおさらのことでしょうが、現代社会では誰が、何時、精神障害者になってもおかしくありません。その時になって後悔しても遅いのです。
 若いときには、何時までも健康だと錯覚しがちですが、交通事故、スポーツ事故、あるいは町を歩いていても事故に遭う可能性はあります。将来発生するかも知れない危機に対して、最低限のリスク管理、国民年金に加入をすることが賢明な生き方だと思います。

私の休職時代

 療養休暇をしばしば取るので、人事課から休職を命じられ、故郷金沢に帰りました。金沢では金沢大学理学部生物学科の研究生になり、机をいただきました。京都大学の恩師は、金沢大学まで足を運び、生物学科の教授に私を頼み込み、能登半島の臨海実験場までも足を運んでくださいましたが、相変わらず家に引き籠もった生活が続きました。たまに外出をしても大学に行くのではなく、喫茶店で時間をつぶすだけでした。せっかく研究室に机を頂いたのですが、宝の持ち腐れでした。
 ある日、なぜ救急車で病院に運ばたのか全く記憶にないのですが、金沢大学付属病院精神科のベットに寝かされていました。京大から恩師がわざわざお見舞いに来てくださったのを見て、主治医に怒られました。京大教授が一人の卒業生を見舞いに来るなんて、私たちの世界では信じられない。堀さん、何が不服でお酒を飲むのですかと言われました。そこから私のリハビリが始まりました。懸垂を始めたのですが、最初は4~5回しかできなかったのですが、退院の時には20回、3セットもできるようになりました。腕立て伏せ100回、3セット、ヒンズースクワット100回、3セットを毎日繰り返しました。消灯時間まで机に座り続け、ひたすら勉強をしました。主治医が良くあんなに勉強をすることができるとあきれていたそうです。
 やがて外出が許されると、毎朝6時に特別に用意された朝食を取り、車で能登半島まで出かけ、冬の海に入り海藻を採取し、研究室に戻り、顕微鏡を覗く日々が続きました。冬の海ですから、手が痺れ、車のキーを口でくわえ、ドアを開けることもしばしばでした。様子を見るために同行した主治医は車から出てきませんでした。3ヶ月間一日も休むことなく、能登半島に通い続けました。研究結果は日本水産学会で発表し、生物学科でも話題になりました。
 休職も終わりに近づきましたが、私は昔の職場で仕事を続けていく自信が無く、辞表を提出するつもりでしたが、総務課長が次長から辞表を絶対受け取ってはならないと指示されているからと断られ、辞表の提出を見送りました。次長が金沢まで私を迎えに来てくださり、場長を引き受ける条件として、人事課から私に関して一任を取り付けたと言われ、病気で休むのならどれだけ休んでも良いから帰ってきなさいと言われました。大学で個人の立場で研究を続けるのはなかなか大変だからと言われましたが、私が帰れば、私が尊敬していた人格者の次長に迷惑がかかると思い辞職しました。
 しかし、それで持てるエネルギーを総て使い果たし、また飲酒してしまいました。金沢大学の構内で倒れていたところを、学生に助けられ、救急車で運ばれたようです。金沢大学の教授からこれ以上面倒を見ることはできないと言われてしまいました。金沢で精神病院の代名詞になっている病院に入院させられ、独房と呼ばれ恐れられている保護室も体験しました。大学に帰る道も絶たれ、孤立無援になりました。母親も怒り、面会にも来なくなりました。絶望の中で高知の断酒会の会員が書いた「断酒に捧げん」に出会いました。断酒会の初代会長、松村春繁氏の生き様、どうしようもないアル中から立ち直り、下司病院の下司院長と共に全国に断酒会を広めていった生き様に憧れました。閉鎖病棟の鉄格子の中で、生きる気力を喪失していた私はこれだと思いました。
 断酒会の発祥の地高知で、断酒会のことを学び、金沢で断酒会を造るのが、私に与えられた使命であると感じました。もっとも、閉鎖病棟の中から出られるのならば、何でもするという想いもあったことは否定できません。客観的に見れば、金沢におられなくなった私が、流刑の地土佐に島流し、流刑に処せられたと言う表現が最も相応しいかも知れません。

私もかつては引きこもり、ニート?でした

 今から振り返ると、京大時代は引きこもり、いわゆるニート?ではなかったかと思います。舞鶴での2年間、実験場の校内に寮があったのですが、授業なるものに出た記憶がありません。卒業できたのは、単に国家公務員上級職試験に合格したので、堀は寮内で勉強しているという噂が教官の間で広がっただけです。
 あの時代には、既に鬱の兆候が現れていたのかも知れません。全共闘時代に神経をすり減らし、世の中を斜に眺めるようになっていました。食うために家庭教師を2つしていましたが、それ以外の時間は寮に籠もり、本の世界に逃げ込んでいました。
 福井県水産試験場(敦賀時代)に就職して、日本で最初の原電の環境アセスメントを担当しましたが、公務員としての良心、科学者としての良心が土足で踏みにじられ、心がずたずたに引き裂かれました。眠られない夜が続き、寝酒の量も増え、精神科を受診しました。躁鬱病だと診断され、何か周囲と違和感を感じていたのは、病気の性だと分かりむしろホットしました。
 それからの10数年間は、正常な状態が続き、断酒を続けるのですが、鬱に周期的に落ち込むと突然アルコールを飲み、失神してしまい、入院を繰り返す日々が続きました。金沢一の精神病院の院長は母親に、鬱病である私は治療不能、断酒できないと宣言したらしいです。後日あれは私の誤診でしたと頭を下げたらしいのですが。
 私は金沢におられなくなり、冗談抜きに流刑の地土佐に自主的に流刑にされました。断酒会発祥の地である下司病院に入院しても、院内飲酒をし、血圧は0になり瞳孔も開きました。下司先生の適切な治療により息を吹き返した私は、生ける神との出会いを体験しました。A.A. でいうハイヤーパワーに出会ったのです。そこから私の新しい人生が始まったのです。

田中さんの健闘に期待しています

 よく見たら田中さんではないですか。西風の会の堀です。かつてお世話になった西川さんがまだ若いのに亡くなられました。お互いに年を取りましたねー!。南国土佐の良いところが少しずつ無くなっていきますねー。
 かつて原発の環境アセスメントをしていた時に感じたのですが、行政は一度動き始めたら、自らの力で止めることができない仕組みになっています。ブレーキが壊れた自動車のようなものです。
 私はそれなのに無駄な抵抗をして発病しました。塩狩峠ではないですが、誰かが身を投げ出さなくては止められないようです。
 これからの活動を期待しています。

2006/06/12

運営委員会は民主主義のルールに従え

 民主主義を支えるのは言論の自由です。ある立場から見れば 「誤った情報を発信する」、「大衆を扇動する」、「他人を非難中傷する」言動も、他の立場から見れば正当な主張である場合が多くあります。全体主義、独裁主義国家は国家権力の判断が唯一無二だとするところに問題があるのです。
 例えば、日本国憲法改正に賛成する意見もあれば、反対する意見もあるのが当然です。日本国憲法は不磨の大典ではありません。むしろ、憲法改正に対し国民的議論がなされるべきですが、それを物理的に規制するのが憲法違反、言論統制なのです。
 ブログ世界には、個人の発言に対し、物理的規制が働かないから、質的に新しい民主主義社会を創造する力があるのです。玉石混淆の情報を選ぶのは個人の自己責任ですが、そこに大衆に選択された意志を見て取るのがブログ民主主義です。
 現生人類、ホモ・サピエンスはアフリカ中東部の一人の女性を祖先とする(エバ伝説)といわれています。生物の進化は偶然に起きる突然変異が自然淘汰に晒されて、一つの流れ(系統樹)を形成した結果です。
 ブログをこの突然変異と捉え、インターネットの世界で淘汰された情報が次の社会を創り出すと信じているのがグーグルです。だから、検索サイトの運営をコンピューターに任せ(人の意志をできるだけ排除する)、大衆の選択に総てを委ねているのです。
 アングロサクソンには進化論の信奉者が多いのですが(ヒットラー然り)、グーグルもその変形でしょう。進化論の特徴は自然淘汰を過大に見積もるところにあります(牧師の私は進化論支持者ではありません)。
 いずれにしろ、言論の世界に物理的な力(意図的な選択)を導入するところが基本的に間違っているのです。公序良俗に反しない限り、自由に討論させるのが、民主主義のルールです。最終的な判断を下すのは閲覧者であり、運営委員会ではありません。

西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP

精神障害者として生きる

精神障害者として生きる
躁鬱病「気分障害」とアルコール依存症で精神障害2級の牧師
瀬戸キリスト教会牧師、西風の会(高知「精神病」者の会)代表 堀 俊明
A)私の歩んできた人生
1949,6.石川県金沢市で生まれる
1968,3,金沢大学教育学部附属高等学校卒業
1972,3.京都大学農学部卒 、全共闘運動の中を生きる
1972,4.福井県水産試験場研究員(福井県舞鶴市)
 原子力発電所の環境アセスメントを担当(温排水が生物に与える影響)
1973,5.躁鬱病「気分障害」を発病
 精神病院に10回程度入院、閉鎖病棟での入院体験も通算で数年になる
1979,4,12.日本基督教団若草教会(金沢)で受洗
1980,12.同退職
 準公務災害扱い (退職金の割り増し、年金の支給は辞退した)
1983,断酒のため高知へ、断酒会発祥の地である下司病院に1年間入院
1984,12.西風の会結成(新谷のり子コンサートを機会にして)
1985,4.東京神学大学神学部編入学
1987,4.高知教会伝道師
1989,4.香美教会副牧師
1992,10,4.香美教会による瀬戸地域の開拓伝道が開始される
1997,3,30.瀬戸キリスト教会開設、同副牧師
2001,4.SSRI,パキシルを服用し始める
 パキシルを服用し続ければ、健康な人間に近い生活が送られるようになった
B)病気と共に歩む人生
1)精神病院で躁鬱病と診断されむしろ気が楽になった
 職場も病気に配慮してくれた (準公務災害扱いをしてくれた)
 乱れた生活を送る
2)結婚をする(妻は躁鬱病であることを理解し,結婚する)
 職場での評価も上がり、過去は若気の至りと見なされるようになってきた
3)離婚する(あなたの明日を信用できないと言われる)
 私の子供を産むことはできないと言われる
 別居中、完全に断酒したが,妻の姿勢は変わらなかった
4)アルコールの酔いがもたらす暗黒の世界の中でしか生きられなくなる
5)断酒を決意し、断酒会を頼り高知へ行く(流刑の地へ流刑にされる)
6)下司病院で院内飲酒をし,血圧が0になり瞳孔が開く
7)生ける神と出会う(A.A.でもハイヤーパワーにより断酒ができる)
8)棚卸し表を作成する変わりに、手紙を1日3通出し続ける
9)東京神学大学松永学長の講演を聞き牧師への志が与えられる
10)テストケースとして精神病者の入学が認められる
11)学校で紹介された病院と相性が合わず、倒れた
(精神病者であるにも関わらす牧師になるという誇大妄想を起こした)
12)高知まで事務長が付き添い,下司病院に入院、夏休みを過ごす
13)下司病院で新たな診療所を紹介される
14)2年目はほぼ皆出席で,無事卒業する
 卒業時の聖餐式から葡萄酒をジュースに変えると学長が表明(はなむけ)
15)高知教会伝道師
 招聘反対運動、何をするか分からない者を牧師として招くことはできない
 青年会に精神障害者が多く集まる(長老会の反発が強まる)
 堀眞知子と結婚する
 契約更新を拒否される
16)香美教会(香我美町)副牧師として招聘される 
 家はある、謝儀は1万円、現実には伝道圏からの献金で生活が満たされる
17)瀬戸開拓伝道
 瀬戸地域は未知の地であったが、礼拝を始めた時より信徒が集まった
18)瀬戸キリスト教会設立
 堀眞知子がCコース(検定試験)で日本基督教団の教師となる
19)堀 俊明が障害年金受給資格を得る
 教会が自立する、伝道圏からの献金を辞退する(謝儀7万円)
20)海辺の杜ホスピタル(自転車で通院可能)に転院する
 ’01,4.抗鬱剤がSSRIのルボックスからSSRIのパキシルに変わる
 週に2~3回トリプタノールの点滴を受けていたが,全く必要でなくなった  健康な人に近い生活が送られるようになる
21)脳のリハビリ
 (寝たり起きたりの生活で新聞はおろか漫画すら読めなかった状況であった)
 新聞を読み始めた
 インターネットで,朝日新聞、産経新聞を購読している
 読書を始めた
  週に3~4冊、図書館から借りだす
  十津川警部レベルから進化生物学、意識哲学まで読書の範囲を広げた
 インターネットでブログを始める
 高知市に調停を申し立てたのを機会に始め、ブログの世界の虜になる
C)薬で癒されてから、社会に適応するまでのリハビリが今後の課題である
1)モノクロ(白黒写真)の世界から突然カラーの世界に入れられる
 自分の立っている世界に違和感を覚え、受け入れるのが困難になる
2)20,30年間の空白を埋めなくてはならない(浦島太郎である)
 思春期から病気の世界しか知らず,正常な世界を知らない
3)20,30年間機能してこなかった脳の機能を回復させなくてはならない
 知性、感情、社会生活のリハビリは苦痛を伴うので励ますことも必要である
4)精神障害者が寛ぐことのできる空間が必要である

2006/06/10

運営員会は権力の行使に抑制的になれ

 先ず、プラットこうち(高知県の掲示板)運営員会規則4条1項で高知県県政情報課チーフ(県民参画推進担当)は、その職をもって委員とすると定められています。運営費用を高知県が負担し、事務局を事実上機能させているのは高知県職員であると思われます。従って高知県が関与しないというのは詭弁だと思えます。 事務局でさえ内容に問題がないと認めた書き込みを削除する前に、当事者間で話し合いがもたれた形跡が見られません。削除という強制的手段は、総ての手段を尽くした後に、やむなく執られる手段であるべきです。少なくとも不適切?なリンクのみを削除するように事務局は当事者に働きかけるべきでした。 事務局は権力の行使に抑制的であるべきです。内容証明は話し合いが決裂した後に送付するのが民主主義のルールです。内容証明が閲覧者に与える恐怖感を考慮せず、事務局が内容証明を乱発するのは事実上の書き込み制限にあたります。サラ金が訴訟を乱発し、債務者を恫喝した手段と同じレベルです。 高知県は職員を職務として運営委員会委員として派遣し、職員を事務局の事務にあたらせている以上、運営委員会が利用者に対し権力を行使するのを抑制的にするように努める義務があります。弱者の権利を守るのが民主主義国家の原則だからです。

ブログ民主主義は新しい世界を創る

 ブログにはインターネットに接続できれば、誰でも自由に参加でき、自由に発信、受信ができる利点があると同時に、玉石混淆の情報に晒されるという欠点があります。掲示板には2チャンネルのような無法地帯もあれば、自己規制が働いている掲示板もあります。いずれにしろ、ブログ民主主義は大衆が直接政治に参加できる点で、従来の民主主義とは質的に異なるものへ進化する可能性を秘めています。 しかし、自由に発信できる長所は、逆に誤った情報を発信する、大衆を扇動する、他人を非難中傷する等が自由にできるという短所に繋がりますが、これに対する規制は、ブログ民主主義そのものを破壊してしまうことになります。
 民主主義と衆愚政治とは紙一重です。第一次世界大戦を経験したドイツは、当時としては革新的な憲法、近代憲法の先駆けと言われる民主的な憲法、ワイマール憲法の下で国土の再興を誓いましたが、ナチス・ドイツが合法的に第三帝国を築き上げました。 ナチス・ドイツは現代風に言えば巧みな情報操作で、国民をマインドコントロールしたのです。世界一流の学者でさえナチス・ドイツに協力したのは、オーム真理教を桁違いにスケールアップしたものと考えればよいかも知れません。
 例えば小泉首相は総選挙に圧勝した勢いで、独裁体制を固めるために法律を改正し、自民党規則を改正することもできたかも知れません。ヒットラーはその様にして独裁体制を合法的に築いていったのです。例え民主的な憲法があっても、憲法が想定していない事態は起き得るのです。
 全体主義、独裁体制は情報を操作し、秘密警察を暗躍させます。庶民は落書き、ポスター、ミニ集会などで対抗しますが、権力の前では全く無力であったのは歴史の示すとおりです。歴史は歴史をリセットするために革命を用いてきましたが、21世紀の成熟した社会では、革命はあまりにもリスクが大きく、人的、物的コストがかかりすぎます。
 それに対して、21世紀、人類はインターネット社会を創設しました。ブログが普及してきた現在、社会構造も質的な変化を起こそうとしています。人類は新しい思想を必要としているのです。新しい思想は旧来の民主主義とは異なる概念だろうと思いますが、革新的であるがゆえにマスコミからは阻害されるでしょう。
 一方、ブログは新しい社会を構成する新しい手段として、その位置を確保しつつあります。ブログの世界は玉石混淆の世界ですが、検索サイトが各自の必要な情報を探し出してくれます。情報の砂浜の中に、ダイアモンドが転がっている可能性もあるのです。ブログ社会は新しい思想、概念を瞬時に全世界に発信し、全世界のどこでもそれを受信することができるようにしたのです。
 ブログ民主主義には新しい社会を創造する可能性が秘められています。そのためには情報を管理する社会、例えば中国、北朝鮮のような閉鎖的な社会から解放されなければなりません。高知県が管理する掲示板は公のものですから、内容に問題がない書き込みを一方的に削除するのは時代の流れに逆行しているといえます。
 逆に言えば、書き込んだ以上、非難中傷も甘んじて受けなくてはならないでしょう。書き込んだ人間がそれを甘受するのも自己責任です。結局ブログ村の住民に何が真実であり、何が虚報であるかの判断を委ねるのがブログ民主主義です。 

情報公開の大切さ

 私が原子力発電所の環境アセスメントをしていた時に、情報公開を求める市民の声が強ければ、あるいは状況が少し異なっていたかも知れません。巷に溢れていたのは、観念的な反原発運動であり、環境アセスメントの情報公開を求める市民からの声は上がりませんでした。結局、孤立無援であった私は発病して職を失い、家庭を失いました。私は役人を生かすも、殺すも、市民の声しだいだと思っています。私は自分が役人の世界で挫折し、敵前逃亡した身ですから、大きなことは言えませんが、政治的な圧力を跳ね返せるのは、市民の支持があって始めてできることです。
 県の掲示板の仕組みがどの様なっているのかは、まだ理解できていないのですが、原理原則に拘る姿勢が大切だと思います。例えば、書き込みに問題が無く、不適切なリンクが張られていることがルール違反だというのならば、そのリンクだけを外す交渉をするのが、事務局が最初にやらなければならない仕事です。役人ならば「市民に頭を下げてなんぼのもん」(家内が神戸市で法律専門職として同和問題などを担当していたときの上司の言葉だそうです)ですから、粘り強く交渉し、3週間もあればかなりのことができたはずです。その過程を無視して、いきなり書き込みを削除したところに問題の本質があります。
 事務局が丁寧に対応しても、話し合いで結論が得られないのならば、最後の手段として書き込みの削除と言う手段を執るべきです。その場合、少なくとも当事者との交渉の過程、削除すると判断した法的な根拠(ぷらっとこうちの運用規定等)、運営委員会での審議・決定過程、削除を実行した事務手続等を掲示板に公開すべきです。 今回の問題の根本にあるのは、裁量行政の弊害です。県民に情報を公開して、県民に判断を委ねるべき問題を、小手先で収拾しようとしてことが問題なのです。情報を公開し、検証可能な証拠を明示することによって、責任の所在が明らかにされ、問題の本質が明らかにされるのです。少なくとも書き込みの削除、言葉を換えると検閲は、それだけの重さ伴う判断・処置だからです。

診察 06/06/06

1)戦闘モードから通常モードに切り替えができてきたようです
2)夜もハルシオン1錠で眠れる日が多くなりました
3)朝は起こされるまで寝ている日が多くなりました
4)精神状態は平衡を保っているようです5)食欲はあります
 役人の「由らしむべし、報せるべからず」という体質は30年間温存されてきたようです。最近、役人と激突することが多くなりました。私は日本語で理路整然と語りかけているつもりですが、日本語が通じません。日本人には基本的人権という概念そのものが理解しづらいのかも知れません。西欧的価値観の基礎はキリスト教にあるので、日本人やイスラム諸国の人間には馴染めないのかも知れませんが、少なくとも現在は、基本的人権は世界の共通認識、世界の基準なので、そこから議論を展開しなければ始まらないと思います。日本国憲法を論じるにしても、基本的人権を抜きにして論じられるのは危険だと思います。
 私は30年前、「由らしむべし、報せるべからず」と言う役人世界の常識に耐え切れず発病しました。原子力発電所の環境アセスメントの調査結果が情報公開されていたら、日本も少しは違う姿になっていたと思えます。原子力発電所の立地は、科学的な環境アセスメントの調査結果を情報公開し、国民的な議論に委ねるべきであったと思います。情報開示がなされなかったから、原子力発電所に対する国民的な合意が得られず、原子力発電所立地が迷走しているのだと思われます。
 世界の化石燃料には限界があり、地峡温暖化を考えれば、代替エネルギーが必要とされるのは否定できない現実です。原子力を代替エネルギーの中にどう位置づけていくかは、正確なリスク評価をし、情報を公開した後で、国民的な議論に委ねなくてはならないのに、役人は情報を公開して来ませんでしたし、現在もなされているとは思われません。彼らは以前として「由らしむべし、報せるべからず」の世界に生きています。
 構造改革がキーワードになっていますが、役人の意識を変えなければ、「仏を造って、魂を入れず」になってしまいます。公僕として自らの仕事に誠実であろうとすれば、するほど、理想と懸け離れてしまう現実を生きなければならない若い役人が、誇りを持って働かれる役所であって欲しいと思います。

ブログ村では情報公開を原則に

 高知県の掲示板運営委員会事務局が、掲示板から削除した書き込みの内容に問題はないが、不適切なリンクが張られていたので削除したとの回答を掲示板に書き込みました。掲示板に書き込みをしたのは、事務局の対応としては一歩前進ですが、ブログ村に移住して2ヶ月未満の私には、掲示板の書き込みを巡って、3年前に何かトラブルが起きたらしいということしか分かりません。 事務局には内容に問題がない書き込みを削除した理由を明記する義務があります。ブログ村で3年前に起きた事件は既に時効だと思えますが、それに拘るのならば、過去に起きたトラブルに関する情報を開示し、削除するに至った判断の根拠を明示する義務があります。私には「由らしむべし、報せるべからず」と言う役人体質が反映されているとしか思えません。
 事務局が書き込みを削除したのは、外形的には検閲を禁じる憲法21条2項に反する行為であり、それが正当であることを立証する義務は高知県側にあります。過去のトラブルにより掲示板を一時閉鎖せざるを得なかったトラウマが運営委員会や事務局にあるのでしょうが、発想を変えてブログ村の常識に委ねてみたらどうですか。ブログ村の住人が玉石混淆の情報から必要な情報を選別するのは個人の自己責任だからです。しかし、情報が開示されていなければ、判断する材料すらありません。 事務局が情報を公開しなければ(個人情報保護法で保護される情報は除く)、ブログの世界に、高知県は県が運営する掲示板の書き込みを検閲しているという噂が広まるでしょう。高知県民の税金を使い運営している県の掲示板が、高知県の不名誉な噂をまき散らしていると知れたら、納税者からの批判は免れないと思います。
 高知県は知事自身がブログを立ち上げ、県が掲示板を運営しているぐらいですから、ブログの世界に対して好意的であると推察しています。ですから、ブログ村では情報公開を原則にしてください。情報が公開されなければ、様々な疑心暗鬼を引き起こし、問題解決への道が閉ざされてしまうからです。

2006/06/05

高知県はブログの管理・統制を止めろ

 削除された書き込みに品川正治さんの講演会について書き込まれたものがありましたが、何ら公序良俗に反するものとは思われません。品川さんは経済同友会副代表幹事、専務理事を歴任し、現在終身幹事、財団法人国際開発センター会長という公職に就かれている方のようです。その方の意見を広く公開された掲示板(高知県が管理)に書き込むことは高知県民としての権利であると思えます。高知県(運営委員会)がなぜ誰が読んでも公序良俗に反しない書き込みを削除したのか理解できません。憲法改正反対の立場からの発言であり、一般常識を越えるものではありません。このような社会通念から逸脱していない書き込みを一方的に削除する行為は検閲を禁じる憲法21条2項に明らかに違反しています。
 ディベートを西欧民主主義諸国では教育の中に取り込み、討論の技術を子供の頃から学ばせています。ディベートは参加者をくじで二つのクラスに分け、一つのテーマの賛否をクラス別に討論させ勝敗を決める知的スポーツです。例えば、くじで憲法改正賛成派と反対派とにクラス分けをします。憲法改正賛成派が反対派のクラスになりその逆もあるわけですが、自らの主義主張とは関係なしに相手のクラスの主張を論破する競技です。言葉を武器とする知的格闘技です。 民主主義というとギリシアの都市国家を連想される方が多いと思いますが、ギリシアでは雄弁術、弁論術が発達しました。武器を使用する戦争を避けるために、言葉で戦争をさせたのです。ギリシアの広場には市民が集まり盛んに議論をしていたようです。その中からギリシア哲学が生まれ、民主主義の萌芽が芽生えたのです。民主主義とは言葉の戦争だと理解すればよいのかも知れません。ですから反対意見を封殺するのはフェアー(公正)ではなく、民主主義のルール違反です。掲示板から書き込みを削除するのは公権力によるテロ行為です。言葉には言葉で対抗するのが民主主義の鉄則だからです。
 問題になった書き込みが不適切なものであったなら、その旨を掲示板に書き込めばよいのです。ブログの内容が不適切だと思われるのならばそれに対抗するブログを立ち上げればよいのです。それらの努力を放棄し、書き込みを物理的に削除するのは、中国のインターネット管理と発想は同じだと言わざるをえません。自由主義国日本は中国とは異なる政治体制であることを私たちは誇ってきましたが、それは幻想であり、日本も戦前の全体主義国家に戻ってしまったのですね。
 私は平和憲法は日本が世界に誇るべき憲法だと思いますが、日本は自衛隊と呼ばれる世界有数の軍隊を保持しているのも現実です。法治国家ならば自衛隊を編成する前に憲法を変えるべきでしたが、それをなおざりにしてきたのは政治の怠慢です。平和憲法があるから自衛隊は戦後60年間、一発の実弾も発射しない世界で希有な軍隊であり得たし、日本は平和と繁栄を享受できたのも事実ですが、法理論からすれば現実と乖離した憲法は改正されるべきだと思います。
 しかし、国旗国歌法案が拡大解釈されたように平和憲法を改正したら、それが拡大解釈され、かつての日本のように他国への侵略さえも合理化しかねないという危惧を国民が抱くのも自然な反応です。だからこそ、あらゆる立場に立つ人が意見を闘わせ、国民が納得できる形で結論を出さなければならないのです。日本国憲法は進駐軍が作成したのだから自主憲法を制定しなければならないと主張されますが、言論が封殺されたままで憲法を改正したならばそれと同じ主張が展開されるでしょう。

西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP

2006/06/03

団塊の世代を高知に誘致しよう

 新堀川の埋め立ての是非は、南国土佐の未来像にかかっていると思います。高知市が都市型社会を目指すのか、村型社会を目指すのかで正反対の結論が出ると思います。 
 これからの日本は高層ビルが建ち並ぶ近代化された都市とそれから取り残された都市とに二極化するでしょう。バブルが崩壊し、国家が破綻しかねない状況に陥った日本は、構造改革に日本の未来を託しました。日本はアメリカ型競争社会を選択したのです。都市間の経済格差はますます広がるでしょう。
 例えばトヨタを抱える名古屋地域はますます発展するでしょうし、産業のない高知は廃れていくでしょうが、高度に発達した都市型社会では人間が本当に幸せになれるのでしょうか。ヒルズ族が高いビルから地上を眺めて、王侯貴族の気分に浸れるのも、一時のことです。彼らの頭上にはダモクレスの剣が吊り下がっているのです。ホリエモン然りです。
 一方、村型社会は時代に取り残されているかのように思われるかも知れませんが、人間が生きていくのには村型社会の方が相応しいのです。古代ローマではローマ市民は過密化したローマでは狭いアパートで我慢しましたが、郊外に別荘を持ち、別荘で家庭生活を楽しんだのです。
 日本もこのように住み分ける時代になってきたような気がします。少なくとも、これから定年を迎える団塊の世代には、住宅を子供たちに譲り、第二の人生を田舎で暮らしたいと持っている人たちが多くいると思います。彼らが望むのは住み飽きた都市型社会ではなく、住む人間に優しい村型社会です。
 高知市はこれらの人々を迎え入れ、南国土佐らしい自然の豊かさの中で第二の人生を送ってもらえるようにしたらよいのではないでしょうか。 団塊の世代の資産は膨大です。高知でならば退職金で家を購入することができますし、年金で十分生活ができます。子供や孫に会いたくなれば飛行機でひとっ飛びです。
 バブルが崩壊した今、かつての箱物行政に戻るのではなく、社会福祉を充実し、老人福祉のソフトを蓄え、新しい福祉都市として、団塊の世代に南国土佐を売り込んだらどうでしょうか。 少なくとも県外から移住してきて20年以上になる私は、高知は終の棲家に相応しいところだと感じています。
西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP

2006/06/02

診察 06/06/02

1)戦闘行動モードから通常生活モードに変わりました2)睡眠も十分にとれるようになりました3)ハルシオン1錠で就眠できるようになりました4)朝は起こされるまで寝ています5)緊張がゆるんだせいか、一日中あくびばかりしています6)食欲はあります
緊張状態が解け、いつもの生活パターンに戻りつつあります。「ブログは社会変革を起こすか」には200近いアクセスがありました。私の現在の想いを書いたものですが、アクセスが異常に多かったので少し驚きました。私の心の中である種の切り替えができたのかとも思います。
西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP 

ブログ村の住民登録

 楽天からアクセス3000件の通知がメールで送られてきました。ブログ村に住民登録をしてから1ヶ月半になりました。ブログ村では誰でも住民登録を何時でも、何処からですることができますが、住民地図(検索サイト)に載せてもらうのにお金はかかりませんでしたが、時間がかかりました。光ファイバーに変えたので、プロバイダーが kcb net から四国電力系 pikara net に変わったので、ホームページのアドレスも変えリニューアルしました。ホームページ内でリンクで繋いでいたページもブログにしました。結局2ホームページ、6ブログを立ち上げました。 グーグルには早速サイト登録したのですが、グーグルでは2週間後ぐらいにグーグル系の brogger が一番早くサイト登録され、次に楽天、ヤフーの順でサイト登録されたようでした。地方のプロバイダーである pikara net がサイト登録されるには、4週間位かかったようです。その他の検索サイトに登録されるまでにはグーグルの1.5倍くらいの時間がかかったようです。 結局住民登録されてから住民地図に載る(検索サイトで検索できる)までには、1ヶ月半くらいかかるようです。ブログ内の記事が検索サイトに掲示されるまでには、さらに時間がかかるようです。有名なサイトにトラックバックをかけると検索サイトに掲示されやすいということも分かりました。 結論として言えるのは、ブログを立ち上げたなら毎日少しでもいいから発信し続けることが、ブログ村の住民として認知され、近所づきあいも少しずつ広がってくると言うことでしょうか。
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